新円町駅2015列車の旅青春18きっぷの旅2015夏その2 美濃横断
美濃への道→岐 阜
2015年8月25日(1日目)

岐 阜1 岩 村1 岩 村2 土 岐 赤 坂1 赤 坂2 岐 阜2

※[ ]内の時刻はデジタルカメラのタイムスタンプです。実際の時刻とは一致しない場合があります。

2015年の夏期休暇は昨年と同じ8月下旬に取得。
昨年は往路が新幹線+南海フェリー、復路は寝台特急「サンライズ瀬戸」のシングルデラックスという豪華な四国への旅だったが、
今年は同じ2泊でもJRでの移動に使うのは「青春18きっぷ」だけ(別途普通乗車券・グリーン券・特急券などは購入しない)、
行先も岐阜という節約かつ小規模な旅行となった。

初日(2015年8月25日火曜日)は小田急線で小田原まで行き、小田原で「青春18きっぷ」2回目の使用開始。
(※1回目は8月22日土曜日に袋田への「青春18きっぷの旅2015夏その1」で使用。)
改札を通ってトイレに行った後、東海道線ホームに下りるとすぐに熱海行き普通列車が来た。
熱海で島田行き普通列車に乗り継ぎ、興津で始発の浜松行き普通列車に乗り換え。
最近はアプリやポータルサイトの乗換検索でも島田乗り換えでなく興津乗り換えを提示してくるからか、
興津駅3番線で浜松行きを待つ人が今までより多く見えたが、無事着席できた。
浜松で豊橋行き普通列車に乗り継いだが、豊橋に着く前に途中下車。その駅とは・・・

[12:19]
新居町駅(静岡県湖西市)。
ほとんどの定期列車は島式ホームの2・3番線発着。
1番線ホームには東京起点273kmのキロポストがある。
[12:39]
新居町駅から国道1号・301号を西に進むと
新居関所がある。脇往還(通称:姫街道)の
気賀関所とともに入鉄砲・出女を取り締まった。
[12:42]
復元された大御門(おおごもん)。
往時は明六つで開門、暮れ六つで閉門していた。
傍らには高札が置かれていた。
[12:55]
現地の説明板によると、近世(江戸時代)は
このあたりが浜名湖の湖岸線だったらしい。
[12:56]
面番所。新居を通過する人・物はここで
関所の役人・番人によって取り調べられた。
[13:04]
併設されている新居関所史料館。
その名の通り、新居関所(新居宿・新居湊)関係の
史料が展示されている。
[13:39]
新居宿の旅籠・紀伊国屋。
昭和時代まで旅館として営業していたらしい。
平成13年(2001年)より「紀伊国屋資料館」として
有料で公開されている。
[左は13:42、右は13:47]
新居宿の本陣跡。現地案内板では本陣は3軒あったようだが、もう1軒分は石柱・説明板とも見当たらなかった。

新居町駅に戻り、14時19分発豊橋行き普通列車で再び東海道本線を西へ進む。
豊橋で14時51分発大垣行き新快速電車に乗り継いだが、西小坂井通過後に減速、
14時58分に次の愛知御津で運転停車。
台風15号(Goni/コーニー)による強風が規制値に達したための運転抑止らしい。
3分後に蒲郡まで通常より速度を落として運転再開。次の目的地には12分遅れで到着した。
[15:34]
この日2つ目の目的地は安城。
駅からまっすぐ東南東方向へ歩く。
[15:45]
名鉄南安城駅脇を通過。
これから訪れるところの最寄り駅はこの駅だが、
名鉄名古屋方面からでないと使いづらい印象。
[15:57]
途中から愛知県道78号となった道沿いの
「安祥文化のさと」に到着。
[15:58]
北側の入口に「安城市歴史博物館」と大書してあるが
右の建物は公民館である。
[16:00]
安祥城の周りにあったという七つ井の一つ、風呂井(復元)。
[16:01]
法隆寺型燈籠。
[16:01]
安城市立歴史博物館はこちら。
やや急ぎながら、閉館時間近くまで見学した。
[16:53]
天文13年(1544年)9月の安祥城の戦いで亡くなった
女性を葬ったとされている「姫塚」。
[16:54]
切岸。防御用に自然の斜面を直角に近く切り落とした
土手、との説明だが現状は直角にほど遠い。
[16:55]
善恵坊の碑。天文13年の安祥城の戦いで敵中に
単独で討って出た安祥村の法師善恵坊を供養した。
[左は16:58、右は17:00]
安祥城本丸南隅の土塁。
[左は17:01、右は17:05]
安祥城本丸跡には江戸時代に安祥山了雲院大乗寺(浄土宗鎮西派)が建立された。
[17:06]
「安祥山」の額が掲げられた大乗寺の山門。
[17:08]
境内にある本多忠高(忠勝の父)の墓碑。
忠高は天文18年(1549年)3月に今川方として
織田信広が拠る安祥城を攻めたが、
本丸近くで討死した。
この亀趺墓は250回忌にあたる寛政9年(1797年)に
後裔である岡崎藩主本多忠顯によって建立された。
[17:10]
大乗寺本堂。
[17:11]
安祥城本丸南の隅櫓跡。
[17:15]
安祥城二の丸跡に鎮座する八幡神社。
[17:30]
現地の案内板から安祥城の東隅櫓跡と思われる箇所。
[17:32]
現地の案内板から安祥城の虎口跡と思われる箇所。

コミュニティバス「あんくるバス」で安城駅まで戻り、東海道本線で岐阜へ向かう・・・つもりだったが
安城駅の発車案内表示は調整中。しばらく待ち、18時13分に岐阜行き普通列車で安城を離れた。
・・・のも束の間、刈谷駅手前で踏切に障害物を検知して安全確認を行っているとのことでさらに遅れた。
名古屋駅で下車し、ホームのきしめん屋で夕食を取った後、80分以上遅れで入線した大垣行き特別快速
ようやく岐阜に到着。
[20:32]
JR岐阜駅からバスで岐阜公園に行き、
金華山ロープウェイのりばへ。
残念ながら20時30分発には間に合わず、
20時45分まで待つことに。
20時45分発のロープウェイから岐阜の夜景を楽しみながら山頂駅に到着。
岐阜城天守まではさらに山道を進むことになるが、雨で道が滑りやすくなっていることと
すでに足の疲労が限界に近づいていることから天守へは行かず
展望レストラン(すでに営業終了)の展望スペースから風雨に耐えつつ夜景を撮影した。
[左は20:58、右は21:00]
展望レストランから撮影した南方向の夜景。
[左右とも21:00]
展望レストランから撮影した南西(左側)・西方向(右側)の夜景。
[21:05]
「天下第一の門」(馬場跡方面)と
展望レストラン(太鼓櫓跡)の分岐。
21時15分発のロープウェイで下山し、この日の宿へ向かった。
Prev.
(その1)
<袋 田
青春18きっぷの旅2015夏
その2 美濃横断
Next
岩 村1>
トップ
ページ
新円町駅2015列車の旅 旅の記録
トップ