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日帰り旅の記録2017 |
伊勢原[神奈川県伊勢原市] Isehara |
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2017年1月9日 |
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平成29年(2017年)最初の旅は 「地元以外の神社への"初詣"を目的とした日帰り旅」。 2014年は日枝神社(千代田区)、2015年は明治神宮(渋谷区)、 2016年は大國魂神社(府中市)と、ここ3年は 「地元以外の神社への"初詣"」も都内だったため、 2017年は東京都から出て 神奈川県は伊勢原市まで足を延ばした。 伊勢原と言えば大山阿夫利神社。 伊勢原駅の北口に出ると、「関東総鎮護 大山阿夫利神社」 と記された鳥居が建っている。 |
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小田急線の線路(小田原方)に沿って 神奈川中央交通のバス乗り場がある。 4番のりばでバスを待つと、大山ケーブル行き「伊10系統」のバスが来た。 (※伊10系統の大山ケーブル行きバスは日中20分おきに運行されている。) しかしこの日の目的地は大山阿夫利神社ではないので見送る。 その後に来た、14時55分発の「伊41系統」伊勢原車庫行きに乗車。 (※伊41系統伊勢原車庫行きは2時間に1本。) *上記の運行本数は2017年1月時点の休日ダイヤのものです。 |
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終着の少し手前、神奈川県道612号上にある「三ノ宮」停留所で下車。 | |
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鈴川に架かる下谷戸橋 (←上流方向|下流方向→) を渡りかけたところで 道を間違えたことに気づき、 地図アプリで道を確認して 当初予定の道に復帰した。 ※実際はこのまま進んでも (遠回りになるものの) 目的地には行ける。 |
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なお、この下谷戸橋は近くを通る(右画像奥に見える)東名高速道路に関係があるのか、 銘板には「1996年2月 日本道路公団建造」と記されている。 |
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下谷戸橋より1つ上流側に架かる中谷戸橋を渡る。 (左画像が下流方向、右画像が上流方向) こちらの銘板には「1986年3月 伊勢原市」と記されている。 |
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道標通りに 突き当りの丁字路を左折、 次の丁字路を右折すると・・・ |
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今回の目的地である相模国三宮 「比々多神社」に到着。 地元住民と思われる参詣客が 断続的に訪れていた。 |
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三之宮郷土博物館。 比々多神社で祭祀に用いられた神具や 神社の境内・周辺の遺跡から出土した考古資料などを展示しているようだが、 残念ながら訪問日は「年末年始」に含まれるようで休館日だった。 |
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三之宮郷土博物館前の道を奥に進むと 右画像のような場所に出る。 なお、左画像で見える進入禁止の看板は 一般車両の進入のみを禁止している (「この先は神社職員・総代のみ 一般車両は入れません」と記されている) ため、歩行者は問題なく通れる。 |
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まずは右側から。 こちらには「三之宮三号墳」がある。 元は鈴川の左岸に分布していた「御領原古墳群」の円墳とされており、 昭和39年に発掘調査が行われた後、横穴式石室が現在地に移設復元された。 |
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左側には「下谷戸縄文遺跡」がある。 元あった場所が東名高速道路の建設予定地にあたり、 現地での保存が困難であったことから 昭和42年に現在地へ移設された。 |
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移設場所は比々多神社本殿の真裏にあたる。 | ||
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別アングルから見た 「下谷戸縄文遺跡」。 |
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「三之宮三号墳」と 「下谷戸縄文遺跡」に 挟まれた道を進むと 「↑元宮はこの先直進」 と記された道標が。 |
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道標に従い、 葡萄畑を突っ切って 謎の施設の脇を抜ける。 そして・・・ |
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ややきつい上り坂の先は 直進する道と左折する道の 分岐があった。 |
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左側は、蜜柑の木が数本あるだけの空き地。 | ![]() |
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その奥に目的のものが見えた。 どうやら正解は直進だったらしい。 |
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直進する道の先にあった 比々多神社元宮。 天正19年(1591年)以前は ここに社殿があったという。 |
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比々多神社元宮から 南東方面の眺め。 |
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比々多神社元宮から 北西方面の眺め。 |
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坂を下る前にもう一度撮影。 | |
途中で右折すると「埒免(らちめん)古墳」がある。 昭和39年、恵泉女学園短期大学の建設中に発見され、 石室内からはさまざまな副葬品が出土したという。 なお、この地は恵泉女学園短期大学(後の恵泉女学園園芸短期大学)のキャンパスとして 2005年3月の同短大廃止まで使われたが、 それ以後は他用途へ転用されることなく門が閉鎖されたままで、 古墳も敷地外からの見学しかできない。 (2005年4月以降に学術調査が行われたことはあるらしい。) |
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「三ノ宮」バス停留所付近。 「下谷戸縄文遺跡」がもともとあったのはこのあたりだろうか。 |
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伊勢原駅北口行きのバスが来るまで 少し時間があるので 近くをうろついていると 「この先の三ノ宮橋は 老朽化で危険な為 四輪車は通行出来ません」 との警告看板。 時間の許す限り"この先"へ 行ってみることに。 |
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先にあった橋は確かに老朽化しており、 橋の両側のたもとに黄色いポールを立てて四輪車が入れないようにしていた。 左画像は下流方向、右画像は上流方向。 |
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鈴川の右岸から撮影した三ノ宮橋。 親柱は4本とも残っているものの、 手前右側の親柱は半分ほどの高さになって傾いている。 ここでそろそろタイムリミット。 「三ノ宮」バス停に戻って伊勢原駅北口行きバスに乗車。 伊勢原駅から新宿行き快速急行に乗って帰宅の途に就いた。 |
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