旅の記録2017
松 本
その1:JR松本駅→旧開智学校
[長野県松本市]
Matsumoto
Part 1:JR Matsumoto station→Former Kaichi school
2017年7月15日(1日目)
松 本その2

7/15-16 松本・乗鞍への旅
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松 本2 乗 鞍 松 本3

これまで「日本一高いところにある鉄道駅」室堂駅(2450m)「日本一高いところにあるロープウェイ駅」千畳敷駅(2612m)に行ってきた。
また、この年の5月には「日本国道最高地点」(2172m)にも行ってきた。
今度の旅の目的地は、さらなる「最高所」。
しかし、日帰りで行くにはかなり厳しいため、途中の松本で1泊することにした。

[現在地:JR町田駅(東京都町田市)]
通常、自宅から松本へ行くなら南武線で立川まで行ってそこから中央本線だが、今回は町田まで行って横浜線経由の横浜発松本行き特急「はまかいじ号」に乗車した。
「はまかいじ号」は約2分遅れて終着駅・松本に到着。
西端の7番線に入線していたアルピコ交通上高地線の新島々行き電車(3000形3003・3004)は車両番号、およびオレンジバーミリオンとグレーのカラーリングからして小田急のロマンスカー・SE風ラッピングかと思ったら、松本電鉄でかつて使われていたモハ10形電車のリバイバル塗装とのことだった。
松本駅はここ数年の旅でも何度か通っているものの、松本駅で下車し改札の外に出たのは、なんと2009年夏の青春18きっぷの旅以来8年ぶりだった。
8年経っても(デザインは変わったものの)健在だった北野建設の広告看板、そこについている温度計が示していた気温は34度
松本駅向かいのアリオ松本に入っている松本バスターミナルで「上高地・乗鞍2デーフリーパスポート」(6000円)を購入すると、市街地の観光へ。
といっても、明日に疲労を残さないように、予めリストアップしていた「行きたいところ」はいつもより少な目。
まずは中町通りへ。
蔵造りの建物が並ぶ中、右画像の建物は「松本市はかり資料館」。
「計る」「測る」「量る」道具を多数展示している。
一ツ橋から女鳥羽川の下流方向を見る。 はかり資料館の西側を曲がり、上土通りへ。
女鳥羽川に架かる橋の一つ、一ツ橋を渡る。
一ツ橋から女鳥羽川の上流方向を見る。
女鳥羽川は松本駅の北西で田川に合流する。
川の名の由来は、松本藩主水野忠直が寛文9年(西暦1669年)に玄向寺を菩提寺と定めて裏山の麓に父である水野忠職の廟所を造営した際、裏山から流れ出る渓流の小さな滝を、清水寺の「音羽の滝」にちなんで「女鳥羽の滝」と名付けるとともに、そこから流れ出る川を女鳥羽川と呼んだことから来ているという。
(後に裏山も女鳥羽山と名付けられている。)
なお、玄向寺の以前の寺号は開山の法名を取って清光寺だったが、この際に忠職の法名から「上昌山道樹院玄向寺」に改めたという。
また、明治になって山号を裏山から取って女鳥羽山に改めている。
上土通りを北上すると、「かき船」というその名の通り船のような形をした割烹料理店が堀の上に乗っかっている。
これは松本城の「総堀」で、本丸の周りに造られた内堀や二の丸の周りの外堀よりもさらに外に造られた堀。
奥の建物は松本市役所東庁舎で、かつては三の丸だった。
深志橋から南方向を見る。 総堀に架かる「深志橋」。 深志橋から北方向を見る。
さらに北に進むと、堀端に降りられる階段があったので、降りて総堀を撮影。
←南方向|北方向→
総堀の現存部分北端の西隣には「北門大井戸」がある。
また、このあたりには松本城北門の馬出があったらしい。
せっかくここまで来たので、松本城内堀(東側)を撮影してから「二の丸裏御門橋」を渡って二の丸へ。
二の丸裏御門橋の途中で内堀(北側)を撮影。
本丸と二の丸を隔てる堀。
1羽だけいた白鳥は本丸と二の丸の間にある堀を南に進んでいった。
本丸の北側にある、関係者以外立入禁止の門(公式サイトなどに門の名は記されていないが、二の丸の北にある門が「二の丸裏御門」なので、こちらは「本丸裏御門」だろうか)。
普段開くことはないが、たまたま関係車が外に出るため開く様子を見ることができた。
一旦車を通した後、しっかりと施錠され門は再び固く閉ざされた。
「本丸裏御門橋」(仮称)から見た本丸北側の内堀。
←東方向|西方向→
「本丸裏御門」(仮称)。
江戸時代の絵図にも橋とともに載っているので、後世になってから造られたものではないようだ。
「本丸裏御門」(仮称)を背にして北方向を見る。
本丸の北には「葵馬場」があったらしい。
埋橋が見えてきた。
定番の、天守と埋橋のセットで撮影。
埋橋。
昭和30年に観光用として架けられた。
平成23年3月吉日改修とあるが、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)や長野県北部地震によるものではなく、以前から平成23年2月〜3月半ばで予定されていた欄干の取り換え工事だったらしい。
なお、平成23年6月30日の長野県中部地震(松本市で震度5強を記録)で埋門南側の石垣の石がずれる被害があり、それ以来埋門から本丸には入れなくなっている。
石垣の改修工事はすでに終わっているが、信濃毎日新聞の記事によると、埋橋の老朽化や出入口の(黒門への)一本化による人件費削減など様々な要因があって、埋橋・埋門の閉鎖解除の見込みはないようだ。
8年前は時間がなくて遠くからしか見られなかった「旧開智学校」(国指定重要文化財)を見学(300円)。
塗装塗りなおし工事中のため外観は残念な状態だが、内部の見学は可能だった。
旧開智学校の隣には旧司祭館も移築されている。
明治22年に松本市丸の内の武家屋敷跡に建てられたが、松本城周辺の都市計画街路拡幅事業に伴って平成元年に松本カトリック教会から松本市に寄贈され、平成2年から3年にかけて解体および現在地での復原工事が行われた。
平成6年に松本市重要文化財、平成17年には長野県の「県宝」に指定されている。
旧司祭館の見学を終えると、次の目的地に向かった。
<松 本その2に続く>

新円町発2015列車の旅
-Travel on 2015 Train from New Yen Town-
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