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週末パスの旅in山形 | |
鶴 岡 Part 1:JR鶴岡駅→致道館 [山形県鶴岡市] |
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Tsuruoka (Part 1:JR Tsuruoka station→Chidōkan) |
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2018年3月24日(1日目) | ||
鶴 岡Part2> |
2018年(平成30年)最初の泊まりがけの旅は「週末パス」を使った山形県への旅。
「週末パス」の旅は2014年10月に新潟県を目的地にして以来3年5か月ぶり。
週末パスの旅in山形 | |||||
鶴 岡1 | 鶴 岡2 | 新 庄 | 山 形 | 左 沢1 | 左 沢2 |
3月24日(土)、いつもの旅行より早く午前6時半に家を出る。
新宿駅で「週末パス」を使用開始。
(なお、「週末パス」は自動改札機に通せるので、よほどのことがない限り「青春18きっぷ」などのように有人改札で待たされることがない。)
湘南新宿ライン(宇都宮線直通)の普通宇都宮行きに乗り、大宮で下車した。
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[現在地:大宮駅(埼玉県さいたま市大宮区)] 東北新幹線那須塩原駅の車両基地で停電があって「はやぶさ・こまち3号」などが運休になったようだが、上越新幹線には影響なく、新潟行き「Maxとき305号」は定刻で運行された。 |
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9番線には10時21分発の 信越本線(えちごトキめき鉄道直通) 上越妙高行き特急「しらゆき4号」。 元「フレッシュひたち」用E653系の改造車。 |
[現在地:新潟駅(新潟県新潟市中央区)] 8・9番ホームに停車中の2本の列車。 両者とも家族旅行中の客たちによって、子供の記念撮影の背景にされていた。 |
8番線には10時11分発の 白新線経由羽越本線 酒田行き快速「きらきら うえつ」。 485系特急用車両の改造車4両編成。 |
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快速「きらきら うえつ」は途中西新発田駅と羽前大山駅で対向列車行き違いのため1分間運転停車した後、所定より1分遅れの12時30分に鶴岡駅に到着。 左:2・3番線ホームから撮影した1番線ホームと改札口。 右:3番線ホームで次の停車駅・余目に向かう「きらきら うえつ」を見送る。 |
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鶴岡駅の駅舎。 山形県には9年ぶりの訪問。 (山形県を目的とした旅は2009年2月の米沢への旅以来、 通過を含めても2009年9月の「秋田・大館フリーきっぷの旅」以来。) |
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文芸評論家・高山樗牛(たかやま・ちょぎゅう)の誕生地前を通る。 | |
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NTT東日本鶴岡ビルと山形県立鶴岡南高校の間、雪の残る道を進むと・・・ | ![]() |
堀に突き当たった。 ここが今回の旅における最初の目的地・鶴岡公園(鶴ヶ岡城址)。 |
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二の丸と三の丸を分かつ外堀。 | ![]() |
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北側から攻城開始。 | ||
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ここは二の丸外北門跡。 | ||
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二の丸(北側)の様子。 正面にはすぐに本丸へ渡れる橋が見える。 しかし、あえて遠回りをする。 |
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鬼門にあたる東北隅には「御城稲荷神社」が鎮座している。 宝永5年(西暦1708年)に荘内藩6代藩主酒井忠真が城内鎮守として創建したという。 訪問日には何らかの工事中で、これより先への立ち入りができなかった。 |
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かつての大手にあたる東側。 外堀は埋め立てられていた。 城跡は「荘内神社」の境内でもあるので、大手は参道として整備され、大きな鳥居が建っている。 |
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本丸と二の丸を分かつ内堀。 | ![]() |
二の丸大手門跡。 なお、ほとんどが残存している内堀は東側で少しずれているため、その部分は桝形跡と勘違いされそうだが、現地にあった復元図によると、本丸の東側に門はなかったらしい(北側の内北門と南側の本丸中門のみ)。 |
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渋柿の代表品種とされる「庄内柿」の木(平成24年植樹)と、「庄内柿の祖」といわれる酒井調良の胸像(昭和51年建立)。 | ![]() |
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荘内の総鎮守・荘内神社。 祭神は荘内藩主酒井家の忠次・家次・忠勝・忠徳。 |
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本丸内北門跡。 右側の建物は門に付属するものだったのだろうか。 |
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本丸角櫓跡。 本丸の北西に位置するが、乾櫓などとは言われていなかったのだろうか。 |
本丸北側に架かるコンクリート橋。 すぐそばに角櫓があるため、ここも往時からある橋および門跡と勘違いされそう。 |
門跡そばの土塁・・・ではないが内堀に面する土塁だったと思われる土盛り。 |
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角櫓跡に登る。 埋まっている石のいくつかは、かつて石垣だったものだろうか。 |
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角櫓跡の先端。 | ![]() |
角櫓跡から「門跡のような地形」を俯瞰する。 | ||
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先端から角櫓跡を見る。 右画像で拡大した石などはいかにも石垣っぽいが・・・。 |
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本丸西側(荘内神社の裏手)にある、土塁跡と思われる土盛り。 | ![]() |
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本丸の西南、渡櫓跡に鎮座する鶴岡護国神社。 拝殿は荘内藩10代藩主酒井忠器の霊廟。 |
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本丸の南にある「大寶館」。 大正天皇の即位を記念して創建され、当初は物産陳列館・図書館として使用されたが、現在は郷土人物資料館となっている。 受付で観覧票に在住都道府県と人数を書けば無料で見学できる。 なお、大寶館がある場所は本丸の南の守りだった本丸中門跡である。 |
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山形県道47号側から内堀に沿って歩くと、明治天皇行幸記念碑のあたりだけ石垣が見える。 ここも渡櫓跡らしい。 |
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県道47号側から見た、鶴岡護国神社の鎮座する渡櫓跡。 | ![]() |
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二の丸西門跡から外堀越しに見た致道博物館。 手前右の建物は旧西田川郡役所、左奥に見える水色の建物は旧鶴岡警察署(いずれも重要文化財)。 次の目的地に移動するまであまり時間がなかったため、入館は見送った。 |
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慶應義塾大学先端生命科学研究所。 同研究所の西と南には、鶴ヶ岡城の百間堀を再現したビオトープ「新百間堀」がある。 |
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荘内藩の藩校・致道館。 ここも受付で観覧票に在住都道府県・市区町村と人数を書けば無料で見学できる。 |
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大寶館や致道館のように、短冊くらいの大きさの紙(「観覧票」)に簡単な住所と人数のみ書けばいい(書いた紙は受付の人が回収するので赤の他人の目に触れる恐れが少ない)システムは好感が持てる。 昔ながらの名簿方式だと、新しい名簿に変わらない限りは不特定多数の他人に「住所+氏名」という個人情報を見られてしまうリスクがあるので、「住所+氏名」が必要な場合でも「観覧票」方式を採用していただきたい。 |
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往時は藩主のみ通行を許されていた表御門をくぐり、雪の残る敷地内へ。 | ![]() |
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御入りの間。 藩主が来訪した際の居間として使われた。 |
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聖廟。 孔子と顔淵の「聖画」が祀られていた。 |
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藩の重臣や教官が出入りに使っていたという西御門。 | ![]() |
生徒が講義を受けていた講堂。 | ||
東側にあった養老堂などの建物は現存せず、あった場所が平面図で示されている。 生徒が通用門としていた東御門は左奥にある。 右奥に見える建物は鶴岡市文化会館。 |
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高山樗牛の文学碑・胸像・墓碑。 現地の説明板によると、もとはそれぞれ別の場所にあったが、昭和48年10月にこの場所にまとめて移設されたという。 |
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県道47号上にある「致道博物館」バス停。 ここから湯野浜温泉行きの庄内交通バスに乗って、次の目的地へ。 ※なお、県道の反対側にあるバス停は「致道博物館前」。 |
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