新円町発2015列車の旅 -Travel on 2015 Train from New Yen Town- 週末パスの旅in山形
鶴 岡(→酒田)
Part 2:善寳寺→JR酒田駅
[山形県鶴岡市→山形県酒田市]
Tsuruoka→Sakata
(Part 2:Zenpōji temple→JR Sakata station)
2018年3月24日(1日目)
<鶴 岡Part1 新 庄>

週末パスの旅in山形
鶴 岡1 鶴 岡2 新 庄 山 形 左 沢1 左 沢2
湯野浜温泉行きの庄内交通バスから降車。
ここは「善宝寺」停留所。反対側(鶴岡駅方面)は待合室付き。
そして奥に見える建物は気になるものの、後で見に行く。
次に乗るバスの時間の都合上、ここでの滞在時間は30分余り。
まずは停留所の名の由来にもなっている禅寺「龍澤山善寳寺」(曹洞宗)へ。
参道をまっすぐ進むと、安政3年(西暦1856年)に再建された総門(国指定登録有形文化財)がある。
文久2年(西暦1862年)に再建された山門(国指定登録有形文化財)。
右に毘沙門天、左に韋駄天の像がある。
また、楼上には「宝冠釈迦如来」と十六羅漢の像が安置されているという。
五重塔(国指定登録有形文化財)。
「魚鱗一切」の大供養塔として明治26年に落成。
中には入れないものの、最下層の中をのぞくくらいまでならできる。
彌勒堂「龍華楼」。
宝暦2年(西暦1752年)建立。
弥勒菩薩像と7体のお地蔵様が安座している。
お地蔵様は元は羽黒山にあって、明治の廃仏毀釈で川に捨てられそうになっていたところを善寳寺33世禅山方丈が譲り受けたという。
本堂などの建物は山門よりも奥にある数十段の階段を上った先にあるが、時間と体力の都合上割愛し道の反対側へ。
善寳寺鉄道記念館公園。
そして、奥の建物は「善宝寺鉄道記念館」の"跡"。
ここはかつて庄内交通湯野浜線の善宝寺駅として、鶴岡-湯野浜温泉間の電車が行き交っていた。
湯野浜線廃止後は善宝寺駅構内および駅舎を残した上で同線で使われていた車両や資料などを展示する「善宝寺鉄道記念館」として運営されていたが、それもすでに廃館。
だが、廃館となって長い年月が経っても施設そのものはまだ残されていた。
そして、正面に「3」とつけられた電車もだいぶ朽ちてはいるものの健在だった。
※この電車の諸元などは他のサイトや書籍で詳細に説明されていますので、そちらをご参照ください。
国道7号沿いのある飲食店に引き取られた別の車両はすでに理由は不明ながら姿を消していたので、記念館ともどもここに残ってくれていてよかった。
駅舎の南側からかつての「駅構内」を見る。
なお、記念館の敷地の南側にある道路からは木々に遮られてよく見えない。
(肉眼では何とか見えるかもしれないが、カメラでの撮影は不適。)
駐車場になっている北側から「駅構内」を見る。
駅舎(旧「善宝寺鉄道記念館」)のある側と反対側、合わせて2面のホームがあった。
※以降、仮称として駅舎側ホームを「1番ホーム」、反対側を「2番ホーム」と表記する。
「2番ホーム」湯野浜方にあった切り欠き。
ここに階段があって線路敷に降り、「1番ホーム」と行き来していたのだろう。
「1番ホーム」。
善宝寺での折り返し列車はなかった(全列車鶴岡-湯野浜温泉間で運行されていた)らしいので、西側にあるスペースは(JRの多くの駅でも残っている)保線用などの事業車両を留置する場所だったのだろう。
「1番ホーム」と「2番ホーム」の間。
線路は撤去されている。
「2番ホーム」には屋根付きの待合所が残っていた。 「1番ホーム」の木々や雑草の隙間からズームで「3号電車」を覗く。
最後に、到着時とほぼ同じアングルでもう一度「善宝寺鉄道記念館」を撮影してから、鶴岡駅方面「エスモールバスターミナル」行きの(経路は違うものの、路線名からしても湯野浜線の代替となっている)庄内交通バスに乗って善寳寺を後にした。
このまま鶴岡駅まで・・・は行かず、「大山荘銀前」(荘内銀行大山支店前)で下車。
すぐ西にある十字路を左折して南下すると、造り酒屋に突き当たった。
ここは「羽前白梅」などの銘柄があり入口にも右書きの額「梅ら志」を掲げる「羽根田酒造」。
事前に予約すれば中の見学は可能らしい。
羽根田酒造の斜向かいにある、「出羽ノ雪」が主要銘柄の「渡會本店」。
「出羽ノ雪酒造資料館」を併設しており、入館料100円で事前予約なく見学できる。
最後には日本酒の試飲もでき、お土産として「出羽ノ雪」と、試飲して美味しかった「出泡羽酒」(しゅっぽうしゅ:発泡性の日本酒)を購入した。
渡會本店(出羽ノ雪酒造資料館)そばの、鶴岡市道大山橋線の曲がり角。
そこには「石敢當」(国指定史跡、山形県指定有形民俗文化財)があった。
石敢當本体の風化が激しいため鞘堂が後付けされたらしい。
石敢當は中国由来の民間信仰で、丁字路やY字路などの突き当り部分に魔除け(驅邪除災)のために設置された。
日本国内の設置例は圧倒的に沖縄県と鹿児島県が多いそうだが、両県出身者によって全国各地にも散見されるようになったほか、なんと通信販売もされている。
この石敢當は魔除け以外にも旅行の安全を祈願するために建てられたという(ここ以外にも、魔除け以外の願いを込めて建てられた石敢當が各地にあるらしい)。
明治時代初期には、初代山形県令三島通庸が加茂(日本海沿いの港町で、昭和39年に開館した山形県唯一の水族館がある)から鶴岡へ通じる道路の一部として、この曲がり角を直進する改修計画を立てたが、石敢當の存在を知った薩摩藩(鹿児島県)出身の三島は計画を変更したという。(その影響か、現在加茂から鶴岡へ通じる国道112号はNTT大山交換所の手前から北に逸れている。大山郵便局やきらやか銀行大山支店、荘内銀行大山支店は国道112号沿いにある。)
右にある石板には「唐の末五代に劉知遠の部下石敢當という剛勇の士の事績に基いて」とあるが、中国で劉知遠の生きた時代より100年前に設置された例を紹介している論文があり、実際の由来は不明。
また、「この石敢當はわが國の北限のものとして貴重である」も、ここより北の秋田県や青森県、北海道にも設置されていることから正しくない(この石敢當が設置された時点では北限だったのかもしれないが、肝心の設置年代は不明)。
漬物屋「本長」の前を通り、羽前大山駅に到着。
3時間余り前に「きらきら うえつ」が運転停車していたこの駅から、今度は客扱いを行う普通列車に乗車する。
なお、駅前にはかつて松の木があったらしい(Google Mapや2012年10月のストリートビューにもその姿がある)が、今回訪れた際には跡形もなくなっていた。
羽前大山駅ホームから南方向を撮影。
羽黒山や月山と思われる山々が見える。
羽前大山駅構内。
←鶴岡・酒田方面|あつみ温泉・新潟方面→
羽越本線は全線が電化されている(村上より西が直流、東が交流で村上-間島間に交直切り替えセクションがある)が、やってきた酒田行き普通列車(227D)はキハ47形の気動車だった。
鶴岡駅では上り新潟行き「きらきら うえつ」とすれ違った。
酒田駅に到着。
1番線ホームには酒田駅および陸羽西線の100周年を記念して展示開始された蒸気機関車9632号機の第3動輪がある。
9632号機は酒田機関区で昭和47年に役目を終えて廃車になった後、その年のうちに山形県酒田海洋センター脇に静態保存された。
昭和58年に日和山公園へ移設されたが、塩害などによる劣化のため平成17年に惜しまれながら解体された。
酒田駅前には
獅子舞の頭だけのようなオブジェと
港町らしい船のオブジェがあった。
この後酒田駅にE001形クルーズトレイン「TRAIN SUITE四季島」が「東日本の旬コース(春の2泊3日)」の一環として到着するらしく、改札の脇にも「一緒にお出迎え、お見送りをしませんか?」というポスターが張られていたが、興味ないのと四季島到着より前に酒田を出る予定なので見送り。
0番線に停車中の陸羽西線(奥の細道最上川ライン)新庄行き普通列車(キハ110形陸羽西線仕様)。
17時48分、新庄に向けて定刻通り酒田駅を出発した。

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