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日帰り旅の記録2019 | |
大間々 Ōmama [群馬県みどり市] |
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2019年2月11日月曜日(建国記念の日) | ||
膳Part1> Zen(Part 1) |
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[現在地:東武伊勢崎線浅草駅(東京都台東区)] 2月9日~11日は3連休(土曜・日曜・建国記念の日)だった。 どこへも出かけず家に引きこもっているのはどうかと思ったので、平成21年の米沢行き以来10年ぶりに、一番寒い時期である2月に旅を決行(5年前の大阪出張ついでの観光を除く)。 会津行き以来7か月ぶりの浅草は雪が舞っていた。 |
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[現在地:東武伊勢崎線浅草駅(東京都台東区)] 浅草駅2階改札口天井から吊り下げられている発車案内、3番目の列車(9時ちょうど発)が会津行きの際に利用した会津田島・東武日光行き特急「リバティ会津111号・リバティけごん11号」(下今市で分割)。 今回はそれより1つ上に表示されている8時40分発の赤城行き特急「りょうもう5号」に乗車。 なお、左奥の3番線に停車している100系「スペーシア」は8時30分発の東武日光行き特急「けごん9号」。 |
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[現在地:東武伊勢崎線浅草駅(東京都台東区)] 改札を通過すると、特急「りょうもう5号」(200系第2編成)は4番線に入線していた。 2番線では8時33分発の館林行き区間準急(北千住までりょうもう5号より先行)が発車を待っていた。 |
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[現在地:特急「りょうもう5号」車内(新桐生→相老間を走行中)] 右の画像は5号車。 浅草発車時点では大半が空席だったものの北千住と東武動物公園で多くの乗車があった。 館林・足利市・太田でほとんどが降車し、太田から桐生線に入った時点で5号車の乗客は2人だけ。 新桐生で1人降車したので、最後の数分はご覧の通り貸し切り状態だった。 |
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浅草から約2時間かかって特急「りょうもう5号」は東武桐生線の終点・赤城駅に到着。 桐生市の中心市街地や前橋市方面へはここで上毛電気鉄道に乗り換え。 |
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赤城駅は上毛電気鉄道の駅が昭和3年の中央前橋-西桐生間開業と同時に開設(当時は「新大間々駅」)、昭和7年に東武桐生線が後から乗り入れたため、上毛電気鉄道(の島式ホーム1面2線)が1・2番線、東武桐生線(の頭端式1面2線)が3・4番線となっている。 東武のホームには先発列車を案内するレトロな吊り下げ式電照灯があった。 |
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改札口と上毛線ホーム・東武線ホーム間は構内踏切で行き来する。 上毛線ホームの端にはIC乗車券用の簡易改札機(東武線からIC乗車券で赤城駅まで来た人向け)が設置されていた。 |
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赤城駅の駅舎。 | ![]() |
駅前ロータリーには文化9年(西暦1812年)に建立されたという「二十三夜石塔」があった。 | ||
「二十三夜」は月待(特定の月齢の夜に月の出を待って祀る行事)のうち、旧暦23日に行われるもの。 | ||
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大間々駅から群馬県道69号→国道122号を北上。 しののめ信用金庫大間々支店前にある案内板によると、国道122号の大間々市街地を通る区間には「本町通り」の通称がつけられているらしい。 |
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「まま通り」との交差点の一角に建つ「五町目常夜灯」。 現地の説明板によると、当初は文化10年(西暦1813年)に本町通り中央の堀端に建立された。 明治10年の堀埋め立てに伴い神明宮の参道に移設されたが、平成22年に再移設され本町通りに帰ってきた。 |
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「大間々駅入口」交差点から伸びる県道348号(停車場通り)。 その名の通り、この交差点と大間々駅との間を結ぶ道だが、大間々駅にはまだ行かない。 |
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さらに北上すると、薬局・薬店が2つある丁字路の一角に大間々町道路元標があった。 現地の説明板によると、この道路元標は平成15年に再設置され、元の位置は今の場所から北に9mのところだったとのことで、国道から分岐する道が拡幅される際に撤去の憂き目にあったのだろうか。 |
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旧大間々銀行本店営業所→群馬銀行旧大間々支店(みどり市指定重要文化財)。 昭和61年に群馬銀行の支店が移転する際に大間々町が建物と敷地を購入し、昭和63年に「大間々町歴史民俗館」として開館。 通称のコノドント館は同館で微小化石「コノドント」を展示していることに因み、歴史民俗館が平成18年の2町1村(山田郡大間々町・新田郡笠懸町・勢多郡東村)合併によるみどり市成立に伴って「みどり市大間々博物館」と改称されてからも引き続き使われている。 |
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大間々3丁目交差点で右折して県道338号(駒形大間々線)に入り、わたらせ渓谷鐵道の「ながめ道踏切」を渡る。 渡ってから大間々駅方面を撮影。 |
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さらに県道338号を進む。 | |
逆S字カーブの途中に神明宮がある。 大間々を含む渡良瀬川上流・中流域は渡良瀬川の旧称・黒川に因んで黒川郷と称され、神明宮は黒川郷の総鎮守とされている。 どういう意図かは不明だが、県道から分岐した参道はゆるやかな下り坂になっている。 |
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渡良瀬川に架かる高津戸橋。 中路式のローゼ橋(アーチ橋の一種で、中路式は橋桁がアーチの中部を通っている形式)。 左画像は橋の半ばから上流方向を撮影したもの。 右画像は橋の半ばから下流方向を撮影したが、赤い柵に阻まれて景色はほとんど見えない。 |
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少し左岸に寄ってから上流方向を撮影。 これが「関東の耶馬渓」とも称された高津戸峡。 左岸には高津戸峡遊歩道の一部である橋が2つ見える。 |
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カメラを少し右岸寄りに向けて撮影。 奥に見える吊り橋は「はねたき橋」(全長120m)。 高津戸峡は紅葉の名所らしいが、紅葉のシーズンでなくても見事な景色。 |
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高津戸橋を渡り切り、左岸側から撮影。 たもとには「夫婦いちょう」と遊歩道の入口があった。 |
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すぐ近くには「要害山」の近道と称する階段があった。 山上には「高津戸城」の遺構(堀切など)があるという。 |
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遊歩道に入ると、高津戸橋のアーチのうち橋桁より下にある部分がよく見えた。 なお、遊歩道からの高津戸峡の眺めは肉眼で見るとすばらしいが、カメラ越しだと右画像のように樹木に遮られる部分が多く、撮影に適した場所はかなり限られそうだった。 |
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高津戸橋から見えた橋の1つ目に到達。 見ての通り吊り橋である。 |
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吊り橋の中央から山側を撮影。 上に見えている道は要害山の登山道より下を通っている。 ストリートビューはこちら→ |
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吊り橋から高津戸橋と渡良瀬川右岸を撮影。 高津戸橋の向こうに気になるものが写っているものの、この時点では気づいていなかった。 |
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吊り橋を渡り切った後、振り返って撮影。 | ![]() |
ほぼ同じ場所から高津戸橋を撮影。 ここで奥に見えるものに気づき、後で寄ることにした。 |
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階段を降りると、2つ目の橋。 今度は吊り橋ではなかった。 |
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2つ目の橋の半ばから高津戸峡を撮影。 ←下流(高津戸橋)方向 上流(はねたき橋)方向→ |
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2つ目の橋の半ばから高津戸峡を撮影。 ←要害山側 渡良瀬川側→ |
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2つ目の橋を渡り切った後、振り返って撮影。 左画像は橋を入れて、右画像は橋を入れず渡良瀬川だけ撮影。 |
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ここから見える岩の1つはゴリラの頭のように見えることから「ゴリラ岩」と称されている。 | ![]() |
橋のたもとにある階段を少し下りたところで下流(高津戸橋)方向を撮影。 ゴリラ岩は画像の中央からやや右下に見える。 |
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山側を見ると、地質学的に興味深そうな色・形の岩がある。 ただし自分は地質学の知識に乏しいので解説はできない。 |
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この画像を撮影した時点でのタイムスタンプは12:30。 わたらせ渓谷鐵道大間々駅発の次の列車は13:31発。 このままのペースで遊歩道をはねたき橋まで進むと間違いなく間に合わないので、ここで引き返すことにした。 |
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高津戸橋まで戻ってきた。 そして橋の下をくぐると対岸に見える構造物は、橋台。 場所からして先代(今の橋は4代目なので、こちらは3代目)高津戸橋の橋台に間違いないだろう。 |
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そしてこちら側にも橋台、そして3代目高津戸橋へアプローチしていた道の路盤が残っていた。 なお、公益財団法人群馬県建設技術センターのWebサイト内にある「ぐんまの土木遺産」の橋梁編にて在りし日の3代目高津戸橋が取り上げられている。 また、歴代の高津戸橋の画像はこちらの「三方良し」の会Webサイト内にある「大間々アーカイブス」で公開されている。 |
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高津戸橋の新旧ルートの分岐点。 右奥が、橋の名にも採られた高津戸地区。 |
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左画像と同じ位置で反対側を向いて撮影。 平成21年から22年にかけての短期間のみ、この場所には3代目と4代目の高津戸橋が同時に存在していたらしい。 |
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3代目高津戸橋へアプローチしていた道。 3代目高津戸橋の鋼材を利用して作られたというベンチが3基設置されていた。 黒い柵越しではあるが、高津戸峡の絶景を見ながら休憩ができる、なかなかよさそうな場所だ。 |
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道の端、黒い柵の隙間にカメラのレンズを合わせて右岸側の橋台を撮影。 左画像は橋のそばにあった滝と、右画像は4代目の高津戸橋とセット。 右岸側には橋台の両脇にも怪しげなコンクリート構造物が見える。 |
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再び高津戸橋(4代目)を渡って右岸へ戻る途中、橋上から3代目の橋台を撮影。 3代目の高津戸橋が現役だった頃は、たくさんの人が橋の途中で足を止めて間近に見える滝を俯瞰しただろう。 |
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往路と同じく橋の半ばで上流・下流を撮影。 左画像は上流方向を撮影したものだが、赤い柵に阻まれて川面もはねたき橋も見えない。 右画像は下流方向。 |
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橋を渡り切る少し手前で上流・下流を撮影。 | ![]() |
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右岸に戻ると、3代目高津戸橋の橋台へ。 下り坂の傍らには舗装された不自然な空き地。 右画像は下り坂の途中で撮影した4代目高津戸橋。 |
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「カーブ注意」と横断歩道予告の◇標示がある下り坂の先、いったん謎の空き地と同じ高さになったところで右カーブ。 左岸にもあった黒い柵は逆に左へカーブしていた。 ここが3代目高津戸橋の西詰だった場所。 橋が撤去されても、かつてここにあった橋が越していた川の名称「渡良瀬川」を示す案内板はそのまま残されていた。 |
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左岸と違い、右岸の橋台の上には雑草や小木が生い茂り、こちらから左岸側の見通しは良くない。 | ![]() |
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3代目高津戸橋の西詰だった場所から、先ほど下ってきた坂道と4代目高津戸橋の西詰を見る。 全国街路事業促進協議会(街促協)のウェブサイト内にて、第23回全国街路事業コンクール応募資料として公開されている「みどり都市計画道路3・5・8号大間々高津戸線街路事業」(pdfファイル)によると、同事業は高津戸橋の架け替えだけでなく県道338号の道路改良工事を含めたもの(事業箇所は国道122号からの分岐点から高津戸地区内までの約740m)だった(わ鐵「ながめ道踏切」の拡幅も行われている)。 平面図に照らし合わせると、やはりこの空き地は3代目高津戸橋につながっていた、かつての県道だった。 つまり、県道338号との分岐点から現在地までは同事業に伴って県道から市道に降格したといえる。 なお、日本橋梁のウェブサイト内にある「高津戸橋の施工」(pdfファイル)には3代目が現役(4代目は構築中)の時の画像があり、道の端には白いガードレールが設置されていたことがわかる。 |
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ながめ公園の北入口。 その名の通り、高津戸峡を眺めるための場所として造られ、敷地内には余興場(落語の寄席、演劇などが行える施設)などもある。 なお、この北入口の前にもかつて県道だった部分があり、一部は駐輪場や障害者用駐車スペースになっている。 |
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再び「ながめ道踏切」を渡ると、県道と別れて最短ルートで大間々駅へ向かう。 駅構内に留置されている旧型客車の「JR」だったと思われるロゴが「WR」に改変されていた。 また、刻まれた年号からしてわ鐵(旧国鉄足尾線)関連の慰霊碑ではない石碑が2基建っていたが、表面は関係者以外立入禁止の駅構内側にあるため、詳細は分からなかった。 |
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わたらせ渓谷鐵道大間々駅に到着。 お寺の目隠し塀のような部分には国鉄足尾線時代の駅名標が張られていた(ただし、隣駅を記していた部分は現在と異なるためかカットされていた。) |
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駅前にある記念碑。 駅舎に面した側は足尾鉄道(足尾線国有化前の会社名)の開業記念と思われる内容が、東大通りに面した側には足尾鉄道の工事費を寄付した人たちの名前が刻まれている。 |
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改札を通り、1番線ホームから駅構内を撮影。 ←間藤方面|桐生方面→ |
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間藤寄りには切り欠きの0番線があった。 大間々-足尾間で運行されるトロッコ列車「わたらせ渓谷号」専用乗り場だが、冬季は運休。 |
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構内踏切から駅構内を撮影。 ←間藤方面|桐生方面→ |
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留置線に停車していたWKT-512号車。 愛称は「たかつど」号。 |
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2番線ホームから見た1番線ホームと駅舎。 | ||
奥が13時30分発間藤行き列車、手前がこれから乗車する13時31分発の桐生行き列車。 この停車位置はかつてのタブレット受け渡しの名残りか何かだろうか。 |
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