新円町発2015列車の旅 -Travel on 2015 Train from New Yen Town- 日帰り旅の記録2019
一宮→本納
いちのみや→ほんのう
[千葉県長生郡一宮町→茂原市]
2019年1月4日金曜日
Ichinomiya→Honnō

上総一ノ宮駅周辺の地図→
新春恒例となった日帰り初詣の旅、平成31年(2019年)の目的地は千葉県。
武蔵小杉駅から横須賀線・総武本線外房線直通上総一ノ宮行きの快速電車に乗車。
1時間49分かけて終点の上総一ノ宮駅(長生郡一宮町)までやってきた。
※「総武線快速」「京葉線快速」ともほとんどの列車は外房線内は各駅に停車する設定だが、この列車は外房線内も一部の駅(永田・本納・新茂原・八積)を通過する。外房線内各駅の勝浦方面の発車案内板でも、種別部分の色を(各駅に停車する快速列車は)にして区別していた。
参道と記された石柱が建つ千葉県道228号一宮停車場線を進み、国道128号(房総横断道路)と交差(県道はここから数百メートルだけ国道との重複区間として南下する)。
県道と別れて進む道は交差点ぎりぎりまで車が連なり、渋滞していた。
その交差点の名は「玉前神社前」。
なかなか動かない車列の横を通り抜けると、上総国一宮である「玉前(たまさき)神社」に到着。
先ほどの車列は駐車場へ向かう順番待ちであり、三が日との谷間だったにもかかわらず多くの人々が参詣されていた。
現地の説明板によると、玉前神社の祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、女性の守護神(安産・子育ての神)や縁結びの神として信仰されているという。
平成29年に本殿・幣殿・拝殿の修理が完了。
参拝を終え、お守りを授かると玉前神社を後にしたが、一宮町で訪れる場所はここだけではない。
次の目的地は玉前神社より300mほど南にある場所。
城山公園という、全国にたくさんありそうな名称の公園。
現地の説明板によると、ここには中世に「一宮城」があったという。
豊臣政権期には大多喜城主本多忠勝の領地となり、江戸時代になると「一宮陣屋」として脇坂家や加納家がこの地に拠った。
公園の入口にある「大手門」は加納家が領主だった時代にも同じ場所に大手門があったことから建てられたという。
緩やかな坂道を上っていくと、突き当りに「振武館」がある。
こちらも加納家が領主だった時代、城内に武道所があったため、同じ名前で再建したという。
訪問日にも地元の中学生が剣道の稽古をしていた。
傍らにある石碑は加納久宜の行政を讃えた「加納公紀徳碑」。
久宜は筑後柳川藩立花家の出身で、慶応3年(西暦1867年)に一宮藩主加納家の養子となり、同藩最後の藩主として明治維新を迎えた。
維新後は子爵に叙されて大審院判事や貴族院議員、鹿児島県知事などを務め、明治45年に旧藩地である一宮町の町長に就任し、水田の耕地整理や一宮海水浴場の整備、私立一宮女学校の創設などに携わった。
なお、明治35年には東京府入新井村(現在の東京都大田区山王)にあった自宅を事務所として、夫人と2人で入新井信用組合(城南信用金庫の前身)を設立している。
現地にあった案内図には「将来は郷土資料館を建設、平地には芝生広場、遊具等を配し町民の憩いの場となります」と記されていたが、訪問日時点で郷土資料館建設や遊具の設置は実現していなかった。
「加納公墓地(100M)」という道標に従って振武館脇の狭い道を進む。
振武館の裏手に出るとこのような景色が。
雲一つない青空と、(画像では見づらいが)奥のほうには海(太平洋)が見える。
「加納公墓地」への道をさらに進む。
その道の途中で撮影した、先ほどよりやや南寄りの景色。
黄色と青の帯を纏った209系電車(上総一ノ宮12時ちょうど発の千葉行き258M列車)が上総一ノ宮駅の南にある県道228号の「神門県道踏切」を通過していった。
県道228号はこの踏切より少し手前で国道128号から分かれるとほぼまっすぐ東に進み、千葉県道30号飯岡一宮線(九十九里ビーチライン)との交点が終点である。
1人分の幅しかない道を進むと・・・
加納久宜の墓に到着。
久宜は大正8年の没後、東京谷中の加納家墓地に葬られたが、大正11年にこの墓が造られ分骨が納められた。
墓の上を仰ぎ見ると、中世には一宮城本丸、近世には一宮陣屋の詰めの丸とされていたような平地があるように見えたが、そこまで上がる道は見当たらなかった。
緩やかな坂を半ばまで戻ると、今度は分岐する道を下りて振武館の下に造られたトンネルへ。
現地の案内図によると、このトンネルは一宮小学校校庭からの災害避難路として掘られたという。
説明書きの通り、トンネルを抜けた先は一宮小学校の校庭だった。
そしてトンネルの校庭側入口には一宮藩の藩校「崇文館」に因んだ「崇文門」が設置されていた。
冬休み中とはいえ、今のご時世では小学校の校庭に部外者の長居はよろしくないので、崇文門の撮影を終えたらそそくさとトンネルの中に引き返した。
「大手門」の南にある池。
往時は堀の一部だったのだろうか。
城山を南側から回り込むと、東側に階段。
こちらからも「加納公墓地」に行けるらしい。
玉前神社に用がない人はこちらからのほうが近いかもしれない。
国道128号に突き当り、100mほど北上すると県道228号が分岐する交差点に到着。
ここから県道228号を進むと、城山から俯瞰した「神門県道踏切」、そして上総一ノ宮駅がある。
上総一ノ宮駅に戻ってきた。
左の画像はホーム端から勝浦方面を撮影したもの。
右の画像は駅構内と、2番線に停車中の上総一ノ宮始発(12時39分発)京葉線経由快速東京行き(外房線内および京葉線海浜幕張まで各駅に停車)となるE233系電車。
京葉線東京行き快速列車に乗って帰宅・・・ではなく4駅目の本納駅(茂原市)で下車。
やや遠回りになるが、道に迷う恐れのない(右画像の)千葉県道226号本納停車場線経由で国道128号に出て次の目的地に向かった。
←本納駅周辺の地図
県道回りで国道128号を北上すること11分、大きな鳥居が見えてきた。
3分後、上総国二宮の橘樹(たちばな)神社に到着。
一宮の玉前神社と比べて知名度では劣る橘樹神社だが、それでも参詣客は少なくなかった。
橘樹神社の主祭神は弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)で、本殿の背後は弟橘姫の墓とされる古墳があるため、神域として立入禁止になっている。
今回の旅の目的は果たしたので、若干のショートカットはしたもののほぼ来た道を引き返して本納駅に戻ってきた。
左画像は大網・千葉方面、中央画像は跨線橋と茂原・勝浦方面、右画像は1・2番線ホームにある駅名標と名所案内。
13時54分発の京葉線東京行き快速列車に乗って今度こそ帰宅。

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