「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」の旅
美濃太田
[岐阜県美濃加茂市]
Mino-Ōta
2016年9月25日
<郡上八幡その2 ------>

美濃太田駅に戻ってきた。
このまま高山本線で岐阜に向かってもよいが、名古屋から乗車予定の新幹線に接続できる
美濃太田始発の岐阜行き普通列車は15:56発。
それに間に合わなくても「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」は別途特急券を購入すれば特急列車に乗車できるので
(新幹線以外の特急列車は回数制限なし、ただし新幹線との乗り継ぎ割引は利用不可)、
16:19発の名古屋行き特急「(ワイドビュー)ひだ14号」に乗れば間に合う
(※自由席特急料金は岐阜までなら特定料金が適用され320円、名古屋までだと1180円)。
美濃太田駅から南に徒歩約10分の距離にある旧宿場町(中山道太田宿)を見に行くことにした。
信号待ちなどもあったので10分よりもかかってしまったが、
美濃太田駅から南下してこの交差点に突き当たった。
このあたりには宿場町の雰囲気はほとんどない。しかし・・・
右折して西へ向かうと祐泉寺がある。祐泉寺脇の道は上町の桝形跡。 龍興山祐泉寺(臨済宗妙心寺派)は
土岐氏出身の東陽英朝が湧泉庵という
庵を結んだのが発祥らしい。
祐泉寺の西側にある建物。
十六銀行旧太田支店。
明治40年12月に建設されて以降58年間使われた。
2階の窓は防犯のため格子がつけられている。
旅籠「小松屋」。
「吉田家住宅主屋」として登録有形文化財(21-0237)に指定されている。
現在はお休み処(休憩所)として無料開放されている。
さらに西に進む。
主に旧中山道の北側に古い家屋が立ち並んでいる。
電柱・電線に加え、
「最高速度30km/h」
「駐車禁止」
「横断歩道あり」
の標識とカーブミラーで
宿場町の雰囲気ぶち壊しの交差点。
右手には日本酒「御代桜」の醸造所。
そして左手には、太田宿を紹介する本やサイトにて
ほぼ必ず使われる「旧太田脇本陣林家住宅」(国指定重要文化財)。
主屋は明和6年(西暦1769年)に建てられた。
表門は天保2年(西暦1831年)に建てられたが
文久元年(西暦1861年)に和宮親子内親王の江戸降嫁に伴い再築されている。
太田宿中山道会館
中山道太田宿に関する歴史文化や
江戸時代の旅の様子を紹介する展示、
物販コーナーなどがある。
その向かいには「旧太田宿本陣門」がある。
この門は脇本陣の表門再築と同じタイミング
(文久元年)に新築された。
門のある場所は本陣(福田家)跡だが、
現地の説明板に「昭和の初め頃に
現在の位置に移築された」とあるので、
現在位置は本来の門の位置ではないらしい。
正面(←)と裏(→)から見た
旧太田宿本陣門。
太田宿中山道会館は日曜の15時台にもかかわらず
閑散としていた。
太田宿中山道会館・本陣跡から
さらに西へ。
二共燃料店のある角で
足を止める。
現地の説明板によると、
ここは高札場跡だったらしい。
なお、北へ向かう道の先は
清流山西福寺(真宗大谷派)。
かつて太田宿本陣の東門(通用門)が
移築されていたらしい。
そして、ここは
郡上街道との追分でもあり、
名古屋の塩問屋伊藤萬蔵が
明治26年に建立した道標が残っている。
道標には
「右 関上有知 左 西京伊勢」
と刻まれている。
旧中山道はこちらのようだ。
突き当りには弥勒寺という寺が
あったらしいが、
明治時代の廃仏毀釈で
廃寺になったという。
そして・・・
このあたりが下町の桝形跡らしい。
ここで時刻は[15:25]。
国道21号→岐阜県道347号を通って
美濃太田駅へ戻った。
15:56発の普通列車には余裕で間に合った。
岐阜で16:43岐阜始発の岡崎行き普通列車に乗り換え(名古屋まで後続の新快速より先行)、
名古屋からは2回目の新幹線利用。
往路ではちょうどいい時間に熱海に停車する「ひかり」がなかったため三島停車の「ひかり」を使ったが、
復路は熱海に停車する17:34発の東京行き「ひかり476号」を利用。
熱海駅の有人改札を通過して「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」の利用を終了。
残りの帰路はIC乗車券を利用した。

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