旅の記録2017
松 本
その3:おまけ
[長野県松本市]
Matsumoto
Part 3:Appendix
2017年7月16日(2日目)
<乗 鞍

7/15-16 松本・乗鞍への旅
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松 本1 松 本2 乗 鞍

乗鞍岳の畳平から松本駅に戻ってきたが、帰りの列車(18時35分発の新宿行き特急スーパーあずさ32号)の発車まで2時間以上ある。
雨が降っているものの、前日に入手しておいた松本市街地のガイドマップを見ながら、時間と足の許す限り市街地を見て回ることにした。

途中の伊勢町交差点までは昨日と同じ道のり(昨日は伊勢町から東へ、今日はそのまま北へ)。
中央大手橋を渡ってさらに北上し、大手2丁目の名もなき丁字路から一方通行の道に入ると「西総堀土塁公園」がある。
現地の説明板によると、大正時代に土塁が削り取られて総堀が埋め立てられた際に、この場所は「築山」として家の庭の一部になっていたため土塁が残ったという。
発掘調査が行われた後、平成21年度に史跡整備公園として整備された。
ここの他に松本城公園の北側と東側に総堀、捨堀の土塁が合計4か所残っているらしい。
東側から見た西総堀残存土塁。
西側から見た西総堀残存土塁。
女鳥羽川に架かる橋の一つ、千歳橋(せんさいばし)。
江戸時代には大手橋という木橋が架かっていたが、明治9年に松本城大手門石垣の石材を用いた石橋「千歳橋」に架け替えられたという。
現在の橋は昭和39年に架け替えられたもの。
右の画像は千歳橋のたもとから見た女鳥羽川(下流方向)。
奥に見える、大きな時計のついた建物が、前回訪問時に見学した時計博物館。
千歳橋のたもとから「千歳橋」交差点を撮影。
このクランクは松本城大手門桝形の名残らしい。
千歳橋のたもとには"先代"千歳橋のレリーフや橋の由緒が刻まれたプレート、そして「松本市道路元標」などがあった。
千歳橋から見た女鳥羽川(上流方向)。
女鳥羽川の左岸を歩いていると、対岸の縄手通りにある「長屋門」のあたりで石垣がわずかにくぼんでいた。
千歳橋からあまり距離のないこの辺りに、かつて橋が架かっていたのだろうか。
日本ラジオ博物館
開館時間の短さ(午後1時〜5時)と入館料500円が敷居を高くしているかもしれない。
(ここに着いたときはすでに午後5時だった。)
次回の松本訪問時に都合がよければ中に入ってみたいところだが・・・。
少し早めに駅に戻り、夕食の駅弁(信州デスティネーションキャンペーン期間限定の「信州山ごはん とりめし梓」)と土産物を購入。
E351系の新宿行き特急スーパーあずさ32号で帰京した。
後継であるE353系の運用が開始されれば数年のうちに淘汰されるであろうE351系、あと何回乗れるだろうか。

新円町発2015列車の旅
-Travel on 2015 Train from New Yen Town-
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