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日帰り旅の記録2018 | |
二 宮 [神奈川県中郡二宮町] |
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Ninomiya | ||
2018年1月6日 | ||
国府津→小田原> |
ここ数年の恒例となった「初詣を名目とした新年初めの日帰り旅」。
昨年(2017年:平成29年)は相模国三宮の比々多神社に行った。
そして相模国一宮の寒川神社には7年前(2011年:平成23年)に行った。
となれば、今度は二宮に行こうということで
今年最初の旅の目的地は相模国二宮こと川勾神社。
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JR東海道本線の二宮駅に降り立ち、ここまで乗ってきた熱海行き普通列車を見送る。 入れ違いに上野東京ライン(東京経由)宇都宮線直通の古河行き普通列車が入線。 |
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二宮駅北口。 北口側には二宮町役場や吾妻山公園がある。 |
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二宮駅南口。 駅前ロータリーと国道1号を結ぶ神奈川県道703号二宮停車場線の長さはわずか27m。 |
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国道1号を西に進む。 | ||
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「吾妻山入口」交差点の手前には国道1号の起点・日本橋(東京都中央区)からの距離74kmを示すキロポストがある(こちらは日本橋に向かうほうの車線であるため「日本橋まで74km」と記載)。 | ![]() |
[日本橋から74.2km] 「吾妻神社入口」交差点手前の分岐点には「旧東海道の名残り」という標柱が建っていた。ただし、具体的にどれがという説明はなかった。 |
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ここで分岐している道は東海道の旧道で、途中には梅沢橋(の親柱2本のみ)や等覚院(真言宗東寺派)があり、「山西」交差点(日本橋から74.6km地点)で現道に合流する。 | ||
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[日本橋から74.3km] 梅沢川に架かる吾妻橋(昭和11年3月竣功)。 ただし、肝心の梅沢川はこの付近では暗渠になっている。 |
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「日本橋から(日本橋まで)75km」のキロポスト。 74kmのキロポストからここまでの所要時間は16分。 神奈川中央交通の「押切坂上」停留所があり、二宮駅から川勾神社へ行く際(および、川勾神社への参詣後二宮駅方面へ帰る際)にバスを利用する場合はここが最寄りとなる。 その奥には「押切坂上」と「川勾神社入口」の2交差点が非常に短い間隔で設けられている。 |
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なお、押切坂上交差点の脇には「東海道一里塚の跡」と刻まれた碑がある。ここにはかつて江戸から18番目の一里塚(江戸から十八里を意味する)があった。 現地の説明板によると、碑が建っている街道南側の塚は高さ一丈(約3.3m)で、上に榎が植えられていたという。 |
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押切坂上交差点から分岐する道も東海道の旧道。 そして、川勾神社の門前かつ押切坂を控えるこの地は江戸時代(当時は山西村梅沢)に立場茶屋※「梅沢の立場」として栄えたという。 坂の少し手前、中央画像の緑色の家が建つあたりが本陣「松屋」の跡。 |
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※正式な宿場の間に設けられた馬の継ぎ立てや人足・駕籠かきの休憩のための場所を「立場(たてば)」といい、立場の中でも茶屋(茶店)があって一般の旅行者や参勤交代を行う武士の休憩もできた立場を特に「立場茶屋」という。 | ||
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現在の国道1号の押切坂。 ここは毎年1月2日・3日に行われる「東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)」の4区9.1km地点/7区11.6km地点で、各チームのタイム差を計測するための定点の一つ「二宮」として駅伝ファンに知られているが、「二宮」交差点やJR二宮駅からは2km近く離れており、小田原市との市町境がすぐ近くにある。 なお、JR二宮駅からここまで歩いてきた道ももちろん箱根駅伝4区/7区のコースの一部である。 |
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余談だが、箱根駅伝8区の18.4km(戸塚中継所まであと3km)地点で、ここでのタイム差が戸塚中継所(8区→9区)での繰り上げスタート(トップ通過から20分経過)有無の目安として報じられる「影取」(横浜市戸塚区影取町)も戸塚宿-藤沢宿間の立場の1つであった。 | ||
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川勾神社入口交差点で右折し、両側に歩道を備えた跨線橋「川勾橋」を渡って東海道本線を越える。 橋上からは冠雪した富士山が綺麗に見えた。 |
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道なりに進んで、途中大きな道標のところで左折。 二宮町立二宮西中学校の横を過ぎてもう少し進むと、目的地・川勾神社に到着。 |
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鳥居と石段。 傍らには伊藤博文が「川勾神社」の文字を揮毫したという扁額がある。 |
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茅葺き屋根が特徴的な随身門。 両脇に安置されている木造随身倚像は二宮町の重要文化財に指定されている。 |
川勾神社境内からも富士山が見えた。 | 境内側から見た随身門。 |
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往路で見落としていたが、無量山雨寶院西光寺(真言宗東寺派)前の「川勾の切通し」は江戸時代に川勾の住民総出で造り上げたという(現地の説明板による)。 東側(左画像の右手)には袖切地蔵尊が建立されている。 なお、東側は2015年9月に撮影されたGoogleストリートビューでは西側と同じように自然の崖だったが、2018年の訪問時はご覧のように人工的に固められていた。 ストリートビュー撮影後にがけ崩れでもあったのだろうか。 |
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川勾切通しのストリートビュー。 | ||
なお、川勾切通しにあった説明板によると、かつては梅沢の立場茶屋に川勾神社の一の鳥居があり、川勾神社を参詣する旅人はまず一の鳥居で拝礼してから川勾神社に向かったという。 | ||
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川勾神社の参詣を終え、国道1号に戻ってきた。 時刻はまだ12時を過ぎたばかり。 昼の時間が短い冬とはいえ、帰宅するにはまだ早い。 そこで、とりあえず押切坂を下ることにした。 画像は押切坂のほぼ中間地点。 左画像奥に見える「長寿の里湘南二宮町」の標柱付近に75.2km、右画像で右側の壁面の色が変わる辺りに75.3kmのキロポストがあったので、ここは[日本橋から75.25km]といったところか。 |
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中間点から分岐する道を少し上ったところで撮影。 箱根駅伝の定点カメラのアングルはこんな感じだっただろうか。 |
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[日本橋から75.4km] 押切坂を下り切ったところで振り返って撮影。 東海道の旧道とはここで合流する。 |
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中村川(二級河川)に架かる押切橋を渡る。 | ||
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押切橋の中間から見た中村川。 ←上流方向|河口方向→ |
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[日本橋から75.5km] 押切橋の西詰にある「押切橋」交差点には小田原市のカントリーサインがあり、ここが二宮町と小田原市の境になっている。 当然ながら、反対側に回ると二宮町のカントリーサインがある。 |
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なお、押切橋交差点から中村川右岸の神奈川県道709号中井羽根尾線(押切橋交差点が終点)を少し北へ進んだところに神奈川中央交通の「押切」停留所があり、国府津駅行きのバスが1時間に1本設定されていたが、きっちり60分間隔で運行されているわけではなかった。 次のバスの到着までは1時間20分待たされるようだったので、このまま国府津駅まで国道1号(箱根駅伝の4区/7区)を歩くことにした。 |
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さてここからは小田原市内だと思ったら、200mも進まないうちに塔台橋(塔台川に架かる)を渡ったところ(「塔台橋」交差点手前)で再度二宮町へ。 そして、「橘インター入口」バス停留所手前(日本橋から75.8km地点)でまた小田原市へ。 橘インター入口(西湘バイパス橘IC)より先はずっと小田原市内を進んだ。 |
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なお、中村川右岸には海沿いにある二宮町(山西)から小田原市側に2か所突き出すように「二宮町川勾」があり、国道1号は <←国府津方面>小田原市前川[橘インター入口]二宮町川勾[塔台橋]小田原市羽根尾[押切橋]二宮町山西<大磯方面→> のように通っているため3回市町境を越える。 この「二宮町川勾」はかつて川勾神社の領地(川勾村)だったところといわれている。 |
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