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日帰り旅の記録2018 | |
国府津→小田原 [神奈川県小田原市] |
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Kōzu→Odawara | ||
2018年1月6日 | ||
<二 宮 |
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相模国二宮・川勾神社(神奈川県中郡二宮町)への参詣を終え、国道1号(東海道)を国府津駅に向かって歩いている途中。 西湘バイパス橘インターチェンジの入口を過ぎると、(国道1号起点の)「日本橋から76km」のキロポストがあった。 右の画像は神奈川中央交通の町屋停留所(日本橋から76.1km余り)。 箱根駅伝では4区の10km地点にあたるこの停留所付近で選手への給水が行われる。 |
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町屋バス停を過ぎてしばらく進むと車坂に差し掛かる。 左手には相模湾、前方奥には真鶴半島が見えていい景色だった。 |
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小田原市前川の左カーブの途中に「日本橋から77km」のキロポスト。 | ![]() |
「西前川」交差点を過ぎると、右カーブの先には・・・ | ||
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百数十メートルだけ西湘バイパスと並走。 西湘バイパスの向こう側はもちろん相模湾。 左画像のように西湘バイパスをくぐって砂浜に出られる箇所もあった。 |
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「日本橋から78km」のキロポストに到達。 これがある場所は「国府津駅前」交差点の手前。 そして交差点を右折すると国府津駅に到着。 |
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PASMOをタッチして国府津駅の自動改札を通過すると、1番線にはすでに13時17分発の熱海行き普通列車が停車していて、間もなく発車メロディが流れた。 慌てて先頭車両に乗り込み、空席に座るとドアが閉まった。 |
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小田原駅で下車。 少し遅めの昼食をとった後、駅前にある地図を見て行くところを検討。 |
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小田原駅近くの繁華街の一角。 石垣の上には北条氏政・氏照の墓所がある。 北条氏政は小田原城主後北条氏の4代目で、氏照は氏政の弟。 |
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小田原城三の丸の土塁。 かつてここには幸田門があったという。 薬局の裏手にあった石垣は江戸時代からのものだろうか、それとも後世に積みなおされたものか。 |
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小田原城大手門跡。 現地の説明板によると、寛永10年(西暦1633年)に江戸幕府3代将軍徳川家光の上洛に合わせて、それまで箱根口付近にあった大手門を江戸に近いこの地に移したという。 鐘楼は大正時代にこの地に移ってきた(当初は現在地から約150m南の浜手御門にあった)らしい。 |
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国道1号に出て「本町」交差点を右折したところ。 キロポストでいえば(日本橋から)84.3kmと84.4kmの間。 |
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[日本橋から84.7km] 平成18年から平成28年まで箱根駅伝往路の小田原中継所(4区→5区)があったメガネスーパー本社前。 平成29年からは箱根登山鉄道風祭駅そばにある蒲鉾屋「鈴廣」の駐車場に戻った(復路:6区→7区の小田原中継所は長年鈴廣前から変わっていない)。 向かいには「ういろう」の本店がある。 |
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「諸白小路(もろはくこうじ)」交差点の一角に「日本橋から85km」のキロポスト。 | ![]() |
[日本橋から85.2km] 「早川口」交差点の手前にある歩道橋の傍らには「人車鉄道 軽便鉄道 小田原駅跡」と刻まれた石柱が設置されている。 |
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明治28年に熱海(静岡県熱海市)-吉浜(神奈川県足柄下郡湯河原町)間で開業した豆相人車鉄道は翌年3月に小田原まで延伸され、この地に小田原駅が設けられた。 ただ、駅舎はなく車庫と入れ替え用のポイントのみだけだったという。 明治41年に蒸気機関車が牽引する軽便鉄道となって、小田原-熱海間を約3時間で結んだ。 大正11年12月に官営鉄道熱海線の小田原-真鶴間が開通すると軽便鉄道の並行区間は廃止され、小田原駅もその使命を終えた。 残った真鶴-熱海間は大正12年9月1日の関東大震災で路線が寸断され、そのまま廃止。 震災を乗り越えて熱海線の真鶴-熱海間が開通したのはその翌年だった。 |
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「早川口」交差点で国道1号から別れ、神奈川県道73号小田原停車場線(早川口交差点が終点)を小田原駅に向かって進む。 東海道本線と箱根登山鉄道を跨ぐ青橋を渡って少し南に戻ると、「八幡山古郭東曲輪」がある。 現地の説明板によると、八幡山古郭には戦国時代、小田原城の主郭があったと推定されている。 |
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北側に回り込むようにつくられた坂道と階段を上る。 | ![]() |
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折り返しの階段を上ると、東曲輪に到着。 | ![]() |
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東曲輪の一部は小田原市が土地を取得後、平成17年に発掘調査が行われ、方形竪穴状遺構や掘立柱建物跡が発見されたほか、中国産の磁器や天目茶碗、縄文時代の土器や石鏃が出土したという。 発掘調査が行われた部分は埋め戻された後、このように一般に開放されている。 |
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東曲輪から望む景色。 北方向(左画像)の奥に見える山は曽我山(最高峰は不動山:327m)で、麓には曽我梅林や仇討ちで知られる曽我兄弟の墓がある。 東方向(右画像)には平城として築かれた小田原城と復興天守が見える。 天守の最上層にはたくさんの人がいたが、こちらには自分1人だけだった。 |
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東曲輪から望む南方向の景色。 | ![]() |
東曲輪の北端から南方向を見る。 | ||
15時40分を過ぎて日がだいぶ西に傾いてきた。 足もそろそろ限界なので、小田原駅に戻り、16時22分発の急行新宿行きに乗って帰途に就いた。 |
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Travel on 2015 Train from New Yen Town