「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」の旅
郡上八幡
(その1:長良川鉄道美濃太田駅→郡上八幡駅→城山公園登城道)
[岐阜県郡上市]
Gujō-Hachiman
(Part 1:Nagaragawa Railway Mino-Ōta station→Gujō-Hachiman station→Shiroyama Park)
2016年9月25日
<木曽三川公園 郡上八幡その2

9月25日(日曜日)
昨日とは打って変わって晴天に恵まれた。
朝食バイキングで「美濃加茂やきそば
などを食べた後、ホテルをチェックアウトし、
美濃太田駅へ。
JRの改札ではなく、こちらの長良川鉄道のりばへ。
なお、長良川鉄道は全駅にて改札を実施していない。
(整理券方式の車内精算を実施、
ただし一部の駅には自動券売機があり
乗車券を購入可。)
美濃太田止まりの列車が到着。
折り返し8時12分発の
美濃白鳥行き列車となった
この車両に乗車。
長良川鉄道越美南線(美濃太田-北濃)は
越美北線(越前花堂-九頭竜湖)と対になり、
当初計画では両者が合わさって越美線となる
はずだったが、国鉄の巨額赤字により計画頓挫。
越美南線も国鉄の分割民営化を前に
第3セクターへ転換された。
会社名は長良川鉄道だが、
実際に長良川沿いを走るのは
湯の洞温泉口より先である。
郡上八幡駅に到着。いわゆる国鉄型の構内配線(単式+島式ホーム2面3線)。
側線には除雪車などの事業用車両が
留置されていた。
跨線橋には国鉄風の駅名標が
取り付けられていたが、北濃方面の次駅
「自然園前」は第3セクター転換後の開業。
跨線橋は階段や床まで木製。
郡上八幡駅ではこの跨線橋(21-0242)のほか
本屋および上りプラットホーム(21-0239)、物置および梃子上屋(21-0240)、
下りプラットホームおよび待合所(21-0241)が登録有形文化財に指定されている。
跨線橋から見た駅構内。
←関・美濃太田方面|美濃白鳥・北濃方面→
1番線ホーム。 駅舎。
岐阜県道327号(八幡停車場線)を歩いて
郡上八幡城まで行く。
なお、この時点のタイムスタンプは[9:56]。
予定通りに帰京するために、
乗車しないといけない美濃太田行き列車の
発車時刻は[13:26]。
つまり、郡上八幡での残り滞在時間は3時間半。
[9:59]残り3時間27分
城南交差点で早くも県道327号は終了。
五叉路となっている交差点の、
唯一国道でも県道でもない道へ進む。
これ以降、郡上八幡滞在中はデジタルカメラのタイムスタンプによる時刻
および13時26分までの残り時間(背景色による目安)を表示します。
背景が水色の場合は残り2時間以上です。
[10:01]
この辺りは向かって左側に拡幅したようで、
古い家屋は右側に偏在している。
[10:15]
道幅が狭くなると左側にも古い家が
見られるようになり、この「庄村米穀店」は
主屋・西土蔵・東土蔵・附属屋が
登録有形文化財(21-0046~0049)
に指定されている。
[10:20]
「やなか水のこみち」と名づけられた小径。
[10:24]
「齋藤家住宅主屋」(町家さいとう)も
登録有形文化財(21-0026)。
[10:25]
十字路を左折して岐阜県道319号へ。
[10:32]残り2時間54分
長良川の支流・吉田川に架かる宮ヶ瀬橋。
[10:34]
宮ヶ瀬橋のたもとから下流方面を見る。
[10:35]
宮ヶ瀬橋のたもとから上流方面を見る。
画像左側に見える大きな岩が気になる。
[10:35]
宮ヶ瀬橋の中間地点から下流方面を見る。
[10:35]
宮ヶ瀬橋の中間地点から上流方面を見る。
[10:39]
岩の中腹にはなんと白龍稲荷神社が鎮座していた。てっぺんまで登る道はなさそうだった。
[10:41]
県道に沿って左折すると・・・
[10:42]
城下町プラザ。土産物屋が数店舗と
観光バス用の大きな駐車場がある。
[←10:43] [10:44→]
八幡城大手門跡。
[10:46]
大手門跡で県道から外れて右折すると、
ここに突き当たる。
左は遠郷山安養寺(真宗大谷派)の
境内への石段、
右は八幡城へ続く登山道。
[10:48]
この先には古い町並みがあるらしいが、
残念ながら時間がなく見に行けなかった。
[10:49]
右の坂道を上るとすぐに安養寺の山門と境内が見えた。
駐車場を作るために壁を取り払ってしまったのだろうか。
[10:51]
道の向かいには
「鞍馬山別院善光寺」がある。
その名の通り、明治34年に
長野の善光寺より分身体を勧請、
昭和25年に鞍馬寺より
毘沙門天の分霊を奏請したという。
(現地の説明板より)
また、善光寺境内の一部は郡上藩の
「御蔵会所」(年貢米の保管・管理などを行う)
の跡地である。
宝暦4年(1754年)に郡上藩が年貢の取り立てを、収穫高にかかわらず一定量取る「定免」から
収穫高によって年貢の量が増減する「検見取り」に変更しようとしたことに反発した百姓が
御蔵会所に押し寄せて検見取りの取り下げを要求したことが郡上一揆(宝暦騒動)の発端とされ、
最終的に郡上藩主金森氏が改易されることとなった。
奇しくも宝暦4年と言えば、前日に訪れた木曽三川公園辺りで薩摩藩士による
「宝暦治水」が行われていた頃で、長良川の下流と上流それぞれでほぼ同時進行だったことになる。
[10:52]
左にカーブしながら坂を上る。
この坂の途中に大手二の門があったという。
[10:54]
坂の途中から安養寺本堂の屋根と
かつての城下町を展望。
[10:55]
道なりに右に曲がると、最初の郭に到着。
当初はここが二の丸とされていたが、
宝暦騒動の後に丹後宮津から転封してきた青山幸道によって
本丸に改められた(同時に山の上の旧本丸は松の丸・桜の丸に改められた)。
この郭には稲葉貞道が掘らせたという井戸「土霊水」があり、
日々の飲料水として愛用されたという。
[←10:55] [10:57→]
本丸跡には山内一豊と妻の銅像がある。
山内一豊の妻・見性院が八幡城の初代城主・遠藤盛数の娘であるという説によって
昭和60年に建立された。
[10:58]
山上の郭への所要時間(目安)は
車5分、徒歩12分らしい。
なお、車は一方通行でこちらは上り専用。
[11:01]
道はつづら折りになっており、歩行者用に
ヘアピンカーブをショートカットする階段が
設けられている。
[←11:06] [11:09→]
登山道の途中にはこのような柱状節理っぽい岩もあった。
[11:11]
何回目かのヘアピンカーブの先にようやく石垣が見えた。

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