「JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ」の旅
石津−木曽三川公園・千本松原
[岐阜県海津市・三重県桑名市]
Ishizu - Kisosansen Park & Senbonmatsubara
2016年9月24日
<美濃への道 郡上八幡その1

桑名駅から養老鉄道養老線の大垣行き列車で22分、
下車したのは岐阜県海津市の石津駅。
←桑名方面|大垣方面→
石津駅は無人駅だが、駅舎内には
有人駅だったころに使われていたであろう
(シャッターの下りた)窓口とラッチがあった。
ここではバスに乗り換えるのだが、
バスの到着時刻(12:40)までは
少し時間があったので、
石津駅のホームから見えた
「杉生神社」を見に行った。
養老線が参道を横切っており、
石津第2号踏切が設けられている
(すぐ隣には石津第1号踏切もある)。
右の画像は石津第1号踏切から
石津駅を撮影。
29キロのキロポストは
大垣駅からの距離。
石津駅そばの海津市コミュニティバス「石津駅」停留所から
「水晶の湯」行きバスに乗車。
自分以外の乗客は、同じく石津駅から乗った
海津市役所に用事があるらしい親子2人と先客が1人、
それに海津橋西から海津温泉まで乗った老人1名だった。
所定よりやや遅れて到着した「木曽三川公園」停留所で下車。
この停留所は「水晶の湯」行きも反対方向へ行くバスも止まる
また、「木曽三川公園センター」の北端
(しかも北側の入口から少し東に離れたところ)
の岐阜県道218号上にあるので、
利用する場合は停留所までの所要時間を
余裕をもって計算しておいたほうがいい。
帰りの(石津駅方面行き)バスは14:04発と16:46発。
(※2016年10月にダイヤ改正が行われたため、現行ダイヤは上記時刻と異なる。)
14:04発だと滞在時間が約1時間しかないので難しいが、
16:46発だと時間を持て余す可能性もある。
そのため、場合によっては徒歩で最寄りの養老線多度駅まで行くケースも考えた。
先ほどバスから降車した停留所名は
「木曽三川公園」だが、
国営「木曽三川公園」は
岐阜県・愛知県・三重県に点在する
13か所の公園の総称で、
今回訪れた場所はそのうちの1つ
「木曽三川公園センター」。
北ゾーンには「木曽三川たんけんランド」
などの子供向け施設や芝生広場、
南ゾーンには「水と緑の館・展望タワー」
がある。
しかし、それらには目もくれず
南側の出入り口へ。
南口を出ると、目の前には長良川が流れている。
振り返って「木曽三川公園センター」の南口を撮影。
岐阜県道220号を挟んだ先には「千本松原」と「治水神社」がある。
県道220号の向こうには揖斐川に架かる
「油島大橋」が見える。
こちらからは「長良川大橋」が見える。
治水神社の境内へ。
本殿の横には神社の由緒書が設置されている。
治水神社は薩摩藩家老平田靱負正輔を祭神とする。
平田は宝暦4年〜5年(西暦1754年〜1755年)に薩摩藩が幕府より
木曽三川治水工事のお手伝い普請を下命された際、総奉行に任じられたが、
工事の遅れや病没者33名、自決者53名を出してしまったことの責任を負って
工事完了後の宝暦5年5月25日に美濃大牧の本小屋で切腹した。
岐阜県養老郡養老町大巻の史跡「大巻薩摩工事役館跡」が本小屋の跡地で、
平田の銅像も建てられている。
大巻薩摩工事役館跡はこちら↓→
拝殿の脇には「薩摩義士の偉業」を
説明するパネルが3枚立てかけられている。
拝殿前から境内を見る。
薩摩義士之像。
鹿児島ライオンズクラブ結成20周年記念として
昭和56年に建立された。
台座は桜島の溶岩を用いている。
左の胸像は宝暦治水史蹟保存会の
会長を務めた伊藤光好のもの。
大野万木(大野伴睦)の句碑
「秘史哀し 治水神社の 散り松葉」。
大野は岐阜県出身の自民党の政治家で、
東海道新幹線岐阜羽島駅設置に
影響を与えたとして、岐阜羽島駅北口に
妻とともに銅像が建てられているが、
「我田引鉄」の一例とされることもある。
隼人橋。
昭和29年に宝暦治水200年を記念して、
当時宝暦治水観音堂との間に流れていた
小川を渡るために架けられたという。
「宝暦治水工事犠歿者」の碑。
平田靱負をはじめとした、
治水工事関連で命を落とした
人たちの名が刻まれている。
参道の傍らには大野徳三郎の漢詩
「追懐薩摩義士」の詩碑がある。
大鳥居が見えたところで参道を振り返る。
揖斐川畔には船着き場のような
階段があったが、土やら
間伐した枝やらに埋もれていた。
透塀の間を抜ける前に、
大鳥居と燈籠を撮影。
岐阜県道106号と合流したところで撮影。
←上流方向|下流方向→
上流方向には
「史蹟油島千本松締切堤」
の碑が建っている。
3分ほど歩くと、進行方向右側に13k4と記されたキロポストを発見。
柱部分には「揖斐長良背割堤」。
この堤防は薩摩義士によって造られた当時は「油島締切堤」
(昭和15年に史跡として指定された際は上記の通り「油島千本松締切堤」)
だったが、現在の正式名称は「揖斐長良背割堤」らしい。
おそらく下流端(揖斐川・長良川の合流点)までの距離を示しているのだろう
このキロポストは200mごとに設置されているようで、
次が13k2、その次に13k0があった。
50km制限の県道106号を走ってくる車を気にしながら歩いたので、
13k4から13k0まで6分かかった。
なお、13k0キロポストの横には
この堤防の標高は海抜5.9m」という小さなプレートが付いていた。
さらに進むと、12k6のキロポストの先に
建物が見えてきた。
なお、13k0から12k6までは7分かかった。
手前(上流側)には
「木曽川水系揖斐川 国土交通省揖斐油島水位観測所」
奥(下流側)には
「木曽川水系長良川 国土交通省長良油島水位観測所」
があった。
その先は芝生の整えられた
公園のようになっていた。
敷地内には石碑が2つ。
宝暦治水の碑。
明治33年に建てられ、除幕式の日には
表の題字を記した内閣総理大臣
山形有朋が来て碑文を読み上げたという。
裏面には宝暦治水の犠牲者の
名が刻まれている。
宝暦治水の碑の副碑。
正碑の建設に賛成・寄付をした人々の
名前が刻まれている。
さらに進むと、
少し盛り上がったところに
またしても碑が。
こちらは裏のようだ。
表に回る前に、宝暦治水の碑と周辺を撮影。
表に回ってみると、そこにあったのは
「近代治水百年記念碑」。
明治20年に木曽三川の抜本的改修を
近代技術で着手してから100年後の
昭和62年に建てられた。
記念碑がある、千本松が途切れたところは
油島洗堰の跡。
その手前には「木曽三川治水の先駆者」
として平田靱負とヨハニス・デ・レーケを
顕彰する碑が設置されている。
公園のように整備されたところから
県道106号に出ると、
「スリップ注意 スピード落せ」
の後ろとその向かいに・・・
「岐阜県海津市」と
「三重県」の地名標識。
このあたりが岐阜県と
三重県(桑名市)の県境。
そして、「岐阜県海津市」の
後ろには・・・
国土交通省中部地方整備局
木曽川下流河川事務所の
管理境界標が設置されていた。
自治体名と同じく、
三重県側は桑名出張所、
岐阜県側は海津出張所。
復路は水位観測所裏の道を通って
千本松原を歩いた。
12k8キロポストの下では「観測計器」というプレートが見えたものの、
肝心の計器は叢に埋もれて見えなかった。
ここにも小さな桟橋があった。
比較的最近整備されたように見えたが・・・
見覚えのある黒い車、
そして大鳥居。
治水神社まで戻ってきた。
現在の時刻(タイムスタンプ)は
[14:44]。
木曽三川公園センターに戻り、
「水と緑の館・展望タワー」に入館。(大人620円)

「水と緑の館・展望タワー」から出たところで時刻は15時30分を回っており、
無理に徒歩で多度駅まで行くより16:46のバスを待ったほうがいい状況に。
一旦木曽三川公園センターを出て、長良川大橋西交差点に来た。
長良川に沿って北上する道は
岐阜県道23号。
長良川大橋は岐阜県道125号だが、
橋の中間で愛知県道125号に変わり、
橋の先は愛知県愛西市である。
長良川に沿って南下する道は
先ほど歩いた岐阜県道106号。
木曽三川公園センターに戻り、北ゾーンの西側を進むと、輪中の農家を再現したエリアがある。
門をくぐると、右手に納屋がある。
正面にある母屋の玄関の屋根には
「上げ舟」という、洪水時に
家財道具を載せて堤防まで運ぶための
船が常備されていた。
また、母屋には洪水時に仏壇を
2階に引き上げるための滑車など、
洪水対策の仕掛けが施されていた。
水屋(住居倉庫式水屋)。
食料など家の大事なものを
水害から守るために造られた小屋。
水害で1階部分が長期間冠水した場合は
水屋にある座敷で寝起きしたという。
「輪中の農家」の傍らには木曽三川を模した水路が作られている。
16時30分になったため、
木曽三川公園センターの北口から出る。
「水と緑の館・展望タワー」内の資料によると、
このあたりは「高須輪中」といい、
御三家の1つ、尾張藩の支藩である
高須藩の領地だった。
「松山グリーンハイツ」行きの
海津市コミュニティバスに乗車。
石津駅に戻ってきた。
17時7分発の列車で大垣へ。

大垣駅に18時頃到着すると、東海道本線が停電の影響で遅延しているとのこと。
そのため、大垣駅周辺で時間調整した後、
18時40分発の大垣始発豊橋行き新快速電車で岐阜に移動。
岐阜駅のASTY岐阜内で夕食をとった後、
高山本線の美濃太田行き普通列車に乗り換え。
終点の美濃太田で本日の移動は終了。
予約していた駅前のホテルにチェックインした。


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