旅の記録2017GW上信越・佐渡編
飯 山
(その2:飯山城本丸→長野電鉄木島駅跡)
[長野県飯山市]
Iiyama
(Part 2:Iiyama castle→former NER Kijima station)
2017年5月1日(1日目)
<飯 山その1 1-2 飯 山その3

旅の記録2017GW
上信越・佐渡編
1日目 2日目 3日目 4日目
飯 山1 渋 峠 直江津
佐 渡1
村 上
飯 山2 湯田中
渋温泉
金 津
飯 山3 佐 渡2 鳥屋野潟

飯山城本丸(葵神社)から二の丸へ降りる。

桝形の南西角から本丸方面を見る。 桝形の南西角から北側(桝形内部)を見る。
桝形の北西角から二の丸方面を見る。 桝形の北西角から南側(桝形内部)を見る。
桝形の北西角から石垣の上を撮影。
本丸門跡から見た二の丸(二の曲輪)。
二の丸側から見た本丸門。
二の丸側から見た本丸北側の石垣。
三の丸への坂を下る。
三の丸(三の曲輪)。
三の丸から、先に途中まで進んだ北中門からの登城道と土塁が見えた。
三の丸から「三年坂」を下ると、北中門からの登城道(左画像で右下から伸びる道、および右画像で下っている道)と南中門からの登城道(左画像で左上から伸びる道)が合流する。
合流点から少し南に進むと「桜井戸跡」がある。
現地の説明板によると、「桜井戸」にまつわる鎌倉幕府の御家人泉親衡(小次郎)による飯山城(当時は館城)の始まりの伝説は以下の通り。
北条義時を討つ計画が事前に発覚してしまい飯山に逃れてきた親衡がのどの渇きを覚えたが近くに水場はなく、桜の大木の幹に鶴岡八幡宮のお札を掛けて祈り、桜の根元を掘ると清冽な水が湧き出たため、そこを「桜井戸」と名付け、井戸のそばに館を建てたという。
桜井戸跡の向かいには弓道場の矢道がある。
合流点に戻り、北中門からの登城道を、「車両進入禁止」を置き看板が見えるまで下った。
二の丸まで戻り、本丸東側の石垣を撮影。
二の丸から千曲川を望む。
二の丸北東から本丸を見る。
本丸門の桝形の裏側に回ると、画像右上のネットで覆われている箇所以外にも崩れかかっているところが・・・
南中門からの登城道を下る。
西曲輪の北側に見える切れ込みは、埋門のような門を「復元」しようとしているのだろうか。
帯曲輪の弓道場前では南中門跡に礎石を配置して展示していた。
飯山城跡を後にすると、おすすめ観光コースのお寺巡りなどには目もくれず、千曲川に架かる国道403号の中央橋を渡る。
中央橋から見た千曲川。
←下流方向|上流方向→
中央橋を渡り切って千曲川左岸へ。 振り返って中央橋を撮影。
ここで国道403号と別れて右折。 道の奥に次の目的地が見えてきた。
ここは長電バスの飯山営業所を併設した木島停留所。
そして、かつて長野電鉄河東線(木島線)の終着駅・木島駅だった場所。
駅舎はバスの待合室として残されていた。
馬曲温泉から木島平村役場前付近まで単独区間で、そこからは長野県道38号および国道403号と重複していた長野県道354号は木島交差点で国道403号から分かれて短い単独区間となり、ここ(旧木島停車場)が終点。 木島駅構内は太陽光発電のパネルが立ち並ぶ「ソーラーステーション木島」と化していた。
廃止されたバス停の標柱。 奥に見える駅施設(だったもの)は廃屋のようになってしまっている。
架線柱が1組だけ残され、ここがかつて鉄道駅だった証となっていた。
かつての「駅前通り」。
木島駅跡から廃線跡に沿って歩く。
しばらく進むと、「吉入口」と書かれた縁起のよさそうな案内看板の先に・・・
<次のページへ続く>
*なお、この「吉」は地名だが、「きち」ではなく「よし」と読む。

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