馬 籠
[岐阜県中津川市]
Magome
2016年8月25日
2-Ex
<野 尻
3-1 3-2
妻 籠その1

1日目 2日目 3日目 4日目
気 賀 金 指 木曽福島1 木曽福島2 野 尻 馬 籠 妻 籠1 妻 籠2 草 津
※文中の時間表示[hh:mm]はデジタルカメラのタイムスタンプです。
実際の時刻とずれている場合があります。
3日目(8月25日木曜日)7時35分頃、ホテルをチェックアウト。
この日の目的地は木曽路の宿場町として非常に人気の高い馬籠(まごめ)宿と妻籠(つまご)宿なのだが、
先にどちらを訪問するかで前日まで迷っており、
馬籠が先の(中津川駅前からバスに乗車する)パターンと
妻籠を先にする(JRで南木曽まで行き、南木曽駅前からバスに乗車する)パターンを計画していた。

先に行くほうは(いずれも到着が8時台の予定だったので)自分以外の観光客は比較的少ないが、
見学に時間制限のある施設には開場(開館)時間まで入れない。
後に行くほうはその逆で、(よほど到着時刻が遅くならない限りは)見学可能な施設の時間制限はクリアされるものの、
観光客が少なからずいるため、状況によっては画像撮影に支障が出る場合もある。
結局、馬籠を先手とした。
中津川駅からバスで25分(560円)、馬籠行きバスの終点
「御食事 坂扇屋」前の馬籠バス停に到着。
バス停から南方向を撮影。
媒体によっては「日本の原風景」などという
使い古されたキャプションがつけられそう。
岐阜県道7号を少し東に進んだ
交差点で南方向を撮影。
同じ場所から、
左の画像は西方向、
右の画像は北方向を撮影。
ここから北に行けば
馬籠の宿場町。
しかし、時刻はまだ[8:20]。
そこで、ある場所へ行くため
宿場町とは逆の南に進んだ。
下り坂の途中で振り返る。
一見何の変哲もないマンホールのふた。
しかし、岐阜県中津川市内にある馬籠の地で、
マンホールのふたに陽刻されている地名は"YAMAGUCHI"。

平成17年に、今時珍しい越県合併として話題になった
岐阜県中津川市と長野県山口村(中津川市による山口村の吸収合併)。
それから10年以上経ってもマンホールのふたや「シートベルト着用を求める看板」などに
山口村が残っていた。
横屋というバス停がある丁字路には「左 中津新道」と刻まれた、
明治38年に建立された石の道標があった。
交差点から「中津新道」を見たのが左の画像。
なお、横屋バス停を経由するバスは本数が少ないので注意。
現地の説明板によると、この辺りは
「丸山」または「城山」というらしく、
比較的緩やかなこの坂にも
「丸山の坂」と名付けられている。
そして、室町時代にはここに
「馬籠城(馬籠砦)」があったという。
ただ、遺構は失われている。
「馬籠城跡」には庚申塔などが建てられていた。
坂の上から坂下、そして
馬籠の宿場町方面を撮影。
県道7号との交差点に戻り、
今度こそ宿場町へ。
なお、馬籠宿は江戸時代、明治、大正と
何度も大火に見舞われており、
江戸時代の遺構はほとんど失われている。
「車屋坂」と名付けられた坂道。
現地の説明板によると、
ここには桝形があったらしいが、
明治38年に行われた「道路改修」により、
原形が失われたという。
今ある細い道の桝形は
昭和60年代に「復元」されたらしい。
阿弥陀堂前にも庚申塔などが建てられていた。
「復元」された桝形の細道を進むと
水車小屋に突き当たった。
水車小屋には
「馬籠宿水力発電1号機」とあり、
水車は単なる飾り物ではなく
小水力発電機でもあるらしい。
水車小屋前から坂の上のほうを見上げる。
階段を上り切ってから振り返る。
馬籠宿内の旧中山道は
ずっと上り坂が続く。
旧中山道沿いは
「宿場町の雰囲気」だが、
脇道に逸れると、先ほど
バス停前や馬籠城跡への道中で
見かけたような山村の風景が見える。
「清水屋資料館」。
島崎藤村ゆかりの品や
江戸時代の文書・書画などを展示している。
建物(清水屋原家住宅)は登録有形文化財
(21-0205・0206)に指定されている。
9時を過ぎて、旧中山道の両側に連なる
店の営業が始まるとともに
坂上から観光客の姿が見え始めた。
槌馬屋資料館」。
こちらも島崎藤村やその父島崎正樹に
ゆかりの品を展示している。
馬籠郵便局。
[9:07]馬籠の宿場町のほぼ中間点、
進行方向左側には「藤村記念館」がある。 進行方向右側には馬籠観光案内所がある。
藤村記念館は馬籠宿本陣跡に建てられたため、入口は本陣っぽい雰囲気の冠木門になっている。
中画像の本陣隠居所(岐阜県指定史跡)は本陣の建造物で唯一、度重なる大火での焼失を免れたという。
右画像は本陣の土蔵跡。
藤村記念館を出て少し上ると、「馬籠脇本陣史料館」がある。
その名の通り、この場所は馬籠宿の脇本陣「八幡屋」があったが、明治28年の大火で建物は焼失した。
入口には木曽福島の福島関所跡にもあった「木曽の五木」=檜(ひのき)・椹(さわら)・高野槇(こうやまき)・翌檜(あすなろ)・鼠子(ねずこ)が植えられている。
館内の展示は30年以上前からありそうな古めかしいものだった。
裏手の坪庭には宝暦3年(1753年)の改築の際に組まれたという「玄武石垣」がある。
「お休処 近江屋」を過ぎたあたりで
振り返る。
県道7号との交点(上入口)が
遠くに見えてきたところで雨が降ってきた。
進行方向右側の開けたところからの景色。
再び県道7号と交差する。
こちらは「馬籠宿上入口(Upper Entrance)」
と称し、そばには路線バスの
「陣場」停留所がある。
上り坂の途中には高札場がある・
坂を上り切ると右手に
展望広場がある。
次の宿場・妻籠は
馬籠峠越えを含めた7.6km先にある。
展望広場から南西方向を望む。
かなり奥に中津川の市街地も見える。
展望広場から南方向を望む。
越県合併記念碑。
このページの上のほうで少し触れた、
平成17年の越県合併
(長野県山口村→岐阜県中津川市)
を記念した碑。
島崎正樹の長歌と反歌を刻んだ歌碑。
展望広場はこのようになっている。
坂を下りると、陣場バス停で
妻籠方面南木曽駅行きのバスに乗車。
馬籠での滞在時間は約3時間だった。

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