※文中の時間表示[hh:mm]はデジタルカメラのタイムスタンプです。 実際の時刻とずれている場合があります。 |
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3日目(8月25日木曜日)7時35分頃、ホテルをチェックアウト。 この日の目的地は木曽路の宿場町として非常に人気の高い馬籠(まごめ)宿と妻籠(つまご)宿なのだが、 先にどちらを訪問するかで前日まで迷っており、 馬籠が先の(中津川駅前からバスに乗車する)パターンと 妻籠を先にする(JRで南木曽まで行き、南木曽駅前からバスに乗車する)パターンを計画していた。 先に行くほうは(いずれも到着が8時台の予定だったので)自分以外の観光客は比較的少ないが、 見学に時間制限のある施設には開場(開館)時間まで入れない。 後に行くほうはその逆で、(よほど到着時刻が遅くならない限りは)見学可能な施設の時間制限はクリアされるものの、 観光客が少なからずいるため、状況によっては画像撮影に支障が出る場合もある。 |
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結局、馬籠を先手とした。 中津川駅からバスで25分(560円)、馬籠行きバスの終点 「御食事 坂扇屋」前の馬籠バス停に到着。 |
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バス停から南方向を撮影。 媒体によっては「日本の原風景」などという 使い古されたキャプションがつけられそう。 |
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岐阜県道7号を少し東に進んだ 交差点で南方向を撮影。 |
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同じ場所から、 左の画像は西方向、 右の画像は北方向を撮影。 ここから北に行けば 馬籠の宿場町。 しかし、時刻はまだ[8:20]。 |
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そこで、ある場所へ行くため 宿場町とは逆の南に進んだ。 |
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下り坂の途中で振り返る。 | ||
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一見何の変哲もないマンホールのふた。 しかし、岐阜県中津川市内にある馬籠の地で、 マンホールのふたに陽刻されている地名は"YAMAGUCHI"。 平成17年に、今時珍しい越県合併として話題になった 岐阜県中津川市と長野県山口村(中津川市による山口村の吸収合併)。 それから10年以上経ってもマンホールのふたや「シートベルト着用を求める看板」などに 山口村が残っていた。 |
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横屋というバス停がある丁字路には「左 中津新道」と刻まれた、 明治38年に建立された石の道標があった。 交差点から「中津新道」を見たのが左の画像。 なお、横屋バス停を経由するバスは本数が少ないので注意。 |
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現地の説明板によると、この辺りは 「丸山」または「城山」というらしく、 比較的緩やかなこの坂にも 「丸山の坂」と名付けられている。 そして、室町時代にはここに 「馬籠城(馬籠砦)」があったという。 ただ、遺構は失われている。 |
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「馬籠城跡」には庚申塔などが建てられていた。 | ![]() |
坂の上から坂下、そして 馬籠の宿場町方面を撮影。 |
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県道7号との交差点に戻り、 今度こそ宿場町へ。 なお、馬籠宿は江戸時代、明治、大正と 何度も大火に見舞われており、 江戸時代の遺構はほとんど失われている。 |
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「車屋坂」と名付けられた坂道。 現地の説明板によると、 ここには桝形があったらしいが、 明治38年に行われた「道路改修」により、 原形が失われたという。 今ある細い道の桝形は 昭和60年代に「復元」されたらしい。 |
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阿弥陀堂前にも庚申塔などが建てられていた。 | |
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「復元」された桝形の細道を進むと 水車小屋に突き当たった。 水車小屋には 「馬籠宿水力発電1号機」とあり、 水車は単なる飾り物ではなく 小水力発電機でもあるらしい。 |
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水車小屋前から坂の上のほうを見上げる。 | ![]() |
階段を上り切ってから振り返る。 | ||
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馬籠宿内の旧中山道は ずっと上り坂が続く。 |
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旧中山道沿いは 「宿場町の雰囲気」だが、 脇道に逸れると、先ほど バス停前や馬籠城跡への道中で 見かけたような山村の風景が見える。 |
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「清水屋資料館」。 島崎藤村ゆかりの品や 江戸時代の文書・書画などを展示している。 建物(清水屋原家住宅)は登録有形文化財 (21-0205・0206)に指定されている。 |
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9時を過ぎて、旧中山道の両側に連なる 店の営業が始まるとともに 坂上から観光客の姿が見え始めた。 |
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「槌馬屋資料館」。 こちらも島崎藤村やその父島崎正樹に ゆかりの品を展示している。 |
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馬籠郵便局。 | ||
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↑ | [9:07]馬籠の宿場町のほぼ中間点、 | ↑ |
進行方向左側には「藤村記念館」がある。 | 進行方向右側には馬籠観光案内所がある。 | |
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藤村記念館は馬籠宿本陣跡に建てられたため、入口は本陣っぽい雰囲気の冠木門になっている。 中画像の本陣隠居所(岐阜県指定史跡)は本陣の建造物で唯一、度重なる大火での焼失を免れたという。 右画像は本陣の土蔵跡。 |
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藤村記念館を出て少し上ると、「馬籠脇本陣史料館」がある。 その名の通り、この場所は馬籠宿の脇本陣「八幡屋」があったが、明治28年の大火で建物は焼失した。 入口には木曽福島の福島関所跡にもあった「木曽の五木」=檜(ひのき)・椹(さわら)・高野槇(こうやまき)・翌檜(あすなろ)・鼠子(ねずこ)が植えられている。 館内の展示は30年以上前からありそうな古めかしいものだった。 裏手の坪庭には宝暦3年(1753年)の改築の際に組まれたという「玄武石垣」がある。 |
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「お休処 近江屋」を過ぎたあたりで 振り返る。 |
県道7号との交点(上入口)が 遠くに見えてきたところで雨が降ってきた。 |
進行方向右側の開けたところからの景色。 |
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再び県道7号と交差する。 こちらは「馬籠宿上入口(Upper Entrance)」 と称し、そばには路線バスの 「陣場」停留所がある。 |
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上り坂の途中には高札場がある・ | ||
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坂を上り切ると右手に 展望広場がある。 次の宿場・妻籠は 馬籠峠越えを含めた7.6km先にある。 |
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展望広場から南西方向を望む。 かなり奥に中津川の市街地も見える。 |
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展望広場から南方向を望む。 | ![]() |
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越県合併記念碑。 このページの上のほうで少し触れた、 平成17年の越県合併 (長野県山口村→岐阜県中津川市) を記念した碑。 |
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島崎正樹の長歌と反歌を刻んだ歌碑。 | ||
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展望広場はこのようになっている。 | ![]() |
坂を下りると、陣場バス停で 妻籠方面南木曽駅行きのバスに乗車。 馬籠での滞在時間は約3時間だった。 |