妻 籠(その2)
[長野県木曽郡南木曽町]
Tsumago(Part 2)
2016年8月25日
3-2
<妻 籠その1
3-3 4
草 津>

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気 賀 金 指 木曽福島1 木曽福島2 野 尻 馬 籠 妻 籠1 妻 籠2 草 津
「妻籠宿の北端」にあたる民家の前から妻籠宿中心部の方角を撮影。
「妻籠宿」を後にしてさらに北進すると、逆S字カーブの下り坂。
途中にはスイッチバックの引き込み線のようなスペース(左手前と右奥があった。)
名称不明の橋を渡ると何度目かの分かれ道。
現地の道標では、下り坂が「国道256号 国道19号方面」、上り坂が「城山・中山道 南木曽駅方面」。
ここでは後者を選択。
かなり疲労が蓄積した足を動かして、路面に轍のように苔が生えた坂道を上る。
坂を上り切ると、道がいくつも分岐していた。
左画像は北を向いて撮影。
左側の道が中山道で、「しろやま茶屋」という峠の茶屋のような建物があったが、営業しなくなって久しいようだった。
右側の道は左の道と並行しており、少し先で再び合流する。
右画像は南を向いて撮影。
左側の道は「大高取」で国道256号に合流する。
真ん中の道はこれまで通ってきた、妻籠宿からの道。
そして右側の道が「妻籠城」への道。
それでは妻籠城に攻め込む。
遊歩道は二の郭の南側を回り込んでいる。
途中からは堀切を通る。
両側の郭はご覧の通り猛烈な緑に覆われていたため攻め込まなかった。
一旦振り返って、来た道を撮影してから二の郭西側の遊歩道を進む。
竹林と二の郭に挟まれた遊歩道の先に土橋が見えた。
現地の説明板によると、ここの橋は17世紀時点(1600年代)では木橋だったが20世紀(1900年代)になって土橋に変えたらしい。
右画像は進行方向右側(北東側)の竪堀。
橋を渡ると道が二手に分かれる。
ここはメインルートと思われる右側(北回り)の道をとった。
道は途中で再び堀切へ。
そして遊歩道が左カーブで上っていく一方、堀切はそのまままっすぐ北へ伸びていった。
上った先には狭い平地。
現地の説明板や案内図では詳細が分からなかったが、ここも小さいながら郭の一つだったのだろうか。
上ってきた階段越しに堀切を見る。
高低差はそこそこありそう。
進路には再び土橋と堀切。
進行方向左側の堀切。 土橋を渡る。 進行方向右側の堀切。
2つ目の土橋の先でまたしても分かれ道。
とはいえ、道幅が広い右側の道に「本丸頂上まで50M」という道標が立っているので、ひねくれて逆を取ることもない。
ここでも右側の道をとった。
すでに頂上への道は見えていたが、その前に「帯曲輪」を見ていく。
現地の説明板には「本丸の周囲にめぐらした防御陣地」とだけ記されていた。
いよいよ頂上、主郭へのアプローチ。
幾重にも蛇行する、主郭への道。
そして、ついに見えた。
妻籠城の最上層・主郭に到着。
上ってきた道を振り返る。
分かりづらいが、主郭の周囲には低い土塁が築かれている。
そして、これが主郭まで上ってきた人へのご褒美。
南方向を見ると妻籠の町並みが一望できる。
画像右には第2駐車場が見える。
国道256号を挟んだ向かいに、約4時間前にバスを降りた「妻籠橋」バス停がある。
「妻籠」バス停から乗る南木曽駅行きバスの発車予定時刻まで1時間を切ったので、南側から下山する。
その前に、もう一度主郭を撮影。
主郭には石碑などは立っているものの、土塁以外の遺構はない。
2つ目の土橋を渡った先の分岐に戻り、それからは来た道を引き返す。
主郭を離れてから7分で登城口に戻ってきた。
さらに恋野地区を抜けて「茶房画廊 康」がある分岐まで戻ると、もう一方の道へ。
建物が途切れると、階段を下りて「妻籠」バス停のある第1駐車場へ向かった。
停留所で南木曽駅行きバスを待っている間に雨が降ってきた。
バスはほぼ定刻に到着し、無事乗車できたが・・・
南木曽駅に到着した時には、このような大雨に。
時間が許せばSL公園や中央本線旧線跡などを見に行こうと思っていたが、この天候ではさすがに自重し、次の列車を待った。
なお、金山で夕食を取った後、この日の宿泊地である彦根まで移動したが、この日は夜に東海道本線笠寺駅近くにある日本ガイシホールアイドルグループ「関ジャニ∞」のリサイタルが行われたため、それに伴い(笠寺駅および列車の混雑で)東海道本線の列車に数分の遅延が生じた。

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