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馬籠宿上入口の陣場バス停からバスに乗ること約20分、妻籠橋停留所で下車。 小径を抜けると・・・ なお、妻籠宿付近のバス停は3か所あり、南寄り(馬籠宿寄り)に「尾又橋」、北寄り(南木曽駅寄り)に「妻籠」、両者の中間にあるのが今回下車した「妻籠橋」。 |
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この場所へ。 どうやら妻籠宿の桝形跡付近らしい。 |
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南側の階段を上がったところで北側に振り返る。 | ![]() |
延命地蔵堂。 堂内にある「延命岩」は文化十年(西暦1813年)に、蘭川(あららぎがわ)にあった"地蔵尊像の浮かび上がっている石"を当時の光徳寺住職の中外らが運び込んだとされている。 常に濡れているように見えることから「汗かき地蔵」という別名もある。 なお、光徳寺は地蔵堂の左にある階段を上った先にある。 |
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寺下の町並み。 昭和43年に、全国で初めて町並み保存事業が行われたという。 そして、昭和51年9月4日には妻籠宿全体が角館(秋田県仙北市)、祇園新橋(京都市)などとともに重要伝統的建造物群保存地区の指定第1号となった。 |
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寺下の町並みを南に進む。 右画像の左側にある「上嵯峨屋」は江戸時代中期(18世紀中ごろ)に建てられ、往時は木賃宿だったという。 |
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さらに進むと進行方向左側(東側)の建物が途切れ、右側(西側)だけになった。 | ![]() |
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案内図が立つ丁字路で右折すると、その先には蘭川に架かる古めかしい橋と、後付けの歩道橋。 これが「尾又橋」(昭和32年1月竣功)で、橋を渡った先(蘭川左岸)に尾又橋バス停がある。 左右の画像は尾又橋から撮影した蘭川(左が上流方向、右が下流方向)。 なお、蘭川はここから1km余り北で木曽川に合流する。 |
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案内図の場所まで引き返し、再び南へ。 案内図より南は尾又地区。 現地の説明板によると、かつてはこの尾又地区で中山道(木曽路)と飯田街道(伊奈道)が分岐していたらしいが、宝暦年間に飯田街道が付け替えられ、分岐点がここから600m南の橋場に移動したという。 |
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関西電力妻籠水力発電所。 蘭川の水を発電に利用している。 敷地外周の塀や建物の作りが妻籠宿の景観に配慮されている。 |
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発電所の向かいには「おしゃごじさま」がある。 「御左口(みさぐち)神」という性質不明の土俗信仰の神を祀っているという。 現地の説明板によると飯田街道の旧道跡はこの近くの竹藪の中にあるらしいが、そこまでの廃道マニアではないので旧道探索はしなかった。 |
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発電所を過ぎると建物もまばらになり・・・ | ![]() |
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「諸人御宿 八起」を最後に建物は途切れ、蘭川沿いの狭い上り坂だけとなった。 | ![]() |
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北へ引き返す途中、蘭川を撮影。 右画像の、大きな藁馬がある民芸品店「いんきょ」は藁馬の実演販売も行っているらしい。 |
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発電所の北にある分岐。 左が寺下地区への下り坂。 右の上り坂の先には墓地と妻籠小学校の跡がある。 |
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桝形跡に戻ってきた。 | ![]() |
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桝形の北側入口。 | ![]() |
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桝形を過ぎると上町地区。 ここにある観光案内所はかつて警察署、吾妻村役場、南木曽町役場吾妻支所として使われていた。 |
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俵屋食堂。こちらで昼食を取った。 なお、この建物は初代の妻籠郵便局だった。 |
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妻籠郵便局は昭和54年1月に現在の位置に移転した。 昭和60年7月には局内に郵便史料館が開館し、明治時代の郵便局員の服装など、貴重な資料が展示されている。 |
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中町地区。 | ![]() |
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妻籠宿本陣。 入口の左には人馬会所(問屋場)がある。 妻籠宿の本陣は島崎氏が務めており、最後の当主は島崎藤村(春樹)の次兄広助だった。 広助の上京後に取り壊されたが、平成7年に復元された。 |
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歴史資料館。 ここから少し北にある「脇本陣奥谷」と一体で運営されており、こちらは出口専用。 また、妻籠宿本陣と合わせて3館で「南木曽町博物館」を構成している。 |
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歴史資料館と脇本陣奥谷の間にある蔵造りの建物。 現地には特に説明板のようなものはなかった。 |
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「脇本陣奥谷」入口前で南(左画像)・北(右画像)を向いて撮影。 | ![]() |
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ここが「脇本陣奥谷(おくや)」(国指定重要文化財)。 その名の通り、妻籠宿の脇本陣および問屋を務めた林家(「奥谷」は屋号)の住宅だった建物で、昭和42年に資料館として公開された。 |
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下町地区を進む。 左画像の「俵屋里久」(「氷」の旗を掲げている店)の角を曲がるとバス専用の第1駐車場と「妻籠」バス停がある。 |
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「茶房画廊 康」がある分岐は路面が白くなっているほうが中山道(もう一方は国道256号に合流する)。 | ![]() |
坂を上ると、途中に高札場と水車小屋がある。 ここで記念撮影をしている観光客が多く、なかなか人が途切れなかった。 |
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坂を上り切ると恋野地区。 地蔵沢には「地蔵沢橋(じぞうさわはし)」が架かっている。 この橋は平成20年3月に架け替えられたもの。 |
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地蔵沢橋を渡ると「口留番所」跡がある。 17世紀中ごろまでは人や物の移動を取り締まる番所として機能していたようだが、その後(大妻籠近くの)下り谷に設けられた「白木番所」に役割を譲って廃止されたという。 |
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反対側から地蔵沢橋を撮影。 | ||
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地蔵沢橋を過ぎると進行方向右側の建物が途切れた。 そして次の名所が見えた。 |
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鯉岩(鯉ヶ岩)。 かつてはその名の通り大きな鯉のような形をしていたらしいが、明治24年の濃尾地震で"頭部"が落ちてしまったという。 なお、現地の説明板によると、木曽義昌の家臣がこの岩付近で恋の物語をささやいたという伝説から、このあたりの地名が恋野になったという。 |
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「御宿 大吉」と1軒の民家を最後に、進行方向左側の建物も一旦途切れた。 | ![]() |
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S字カーブを過ぎてから振り返る。 カーブの途中で分岐する道は(奥の上り坂と画像右の下り坂の)2つあったが、いずれも行き止まり。 |
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S字カーブの先にある坂を上ったところに大きな民家が1軒あったものの・・・ | ||
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民家の向かいには自分が歩いてきた方向に「これより妻籠宿の町並」と記された道標があった(反対側は「3.2km JR南木曽駅」)。 つまり、「妻籠宿」はここまで。 水車小屋や鯉岩のあたりまでで満足して引き返す「普通の観光客」とは違う人でも、「妻籠宿」が目的であればここで引き返すだろう。しかし・・・<次のページへ続く> なお、左奥に見える道は妻籠水力発電所の北から分岐して妻籠小学校跡地など妻籠宿の東側を通ってきた道で、妻籠宿内が車両通行止めになる時間帯はこちらが迂回路となる(通行可能j時間でも妻籠宿内は道幅が狭い上に人通りを気にする必要があるので、観光スポットがほぼ皆無な東側の道のほうが通りやすいかもしれない)。 |