新所原→気 賀→岡 地
[静岡県湖西市→浜松市北区]
Shinjohara→Kiga→Okaji
2016年8月23日
(その1)富士見 1-1 1-2金 指>

1日目 2日目 3日目 4日目
気 賀 金 指 木曽福島1 木曽福島2 野 尻 馬 籠 妻 籠1 妻 籠2 草 津

2016年の夏季休暇は前年と同じく8月下旬に取得。
そして旅の計画の結果は前年の夏の「青春18きっぷの旅」と同じ全日程平日で火曜日出発、
行先も「東海道本線で途中下車&名古屋で1泊して中央本線方面へ行く」となった。
しかし、前年と関連がありつつもちょっと違う内容にしてみた。


初日(2015年8月23日火曜日)は小田急線で小田原まで行き、小田原で「青春18きっぷ」2回目の使用開始。
(※1回目は7月23日土曜日に新府富士見への「青春18きっぷの旅2016夏その1」で使用。)
改札を通って東海道線ホームに下り、しばらく待つと熱海行き「快速アクティー」が来た。
熱海で静岡行き普通列車に乗り継ぎ、興津で始発の浜松行き普通列車に乗り換え。
前年同様、興津駅3番線で浜松行きを待つ人は少なくなかったが、無事着席できた。
さらに掛川で豊橋行き普通列車に乗り換えたが、豊橋に着く前に途中下車。その駅とは・・・

愛知県(豊橋市)との県境の手前、
天竜浜名湖鉄道の乗換駅である新所原駅。
新所原駅構内には梅田川が流れており、
東海道本線は鉄板を渡しているだけだが
天竜浜名湖線側は小さな橋を架けている。
豊橋方を見る。
天竜浜名湖線が国鉄二俣線だった頃は
豊橋駅まで直通しており、その際に使っていた
渡り線の築堤と跨線橋の一部が残っている。
仮設駅舎と連絡通路を通って
天竜浜名湖線の新所原駅へ。
東端の掛川駅と同じく、駅舎はコンパクト。
発車を待っていた掛川行き列車は
TH9200形「宝くじ号」だった。
新所原駅から約40分弱で
浜松市北区(合併前は引佐郡細江町)の
気賀駅に到着。
気賀駅の駅舎(本屋)、
上屋およびプラットホームは
登録有形文化財に指定されている
(22-0149〜0150号)。
なお、プラットホームは本来島式だが
駅舎に近いほう(右画像の左側)に
敷かれていたレールは撤去されていた。
駅舎内には「奥浜名湖観光案内所」と
「中華屋 貴長」があった。
気賀駅から歩くこと数分、今回の旅最初の目的地「気賀関所」に到着。
気賀関所は東海道の本坂越
(舞坂宿−新居宿間にある「今切の渡し」を避けるために
見附宿[静岡県磐田市]−御油宿[愛知県豊川市]間を浜名湖の北回りで迂回する道)
に設けられた。
箱根・新居とともに東海道の三大関所として出女・入り鉄砲などを取り締まったという。
現在ある建物は平成元年の「ふるさと創生事業」の一環で
現存する史料をもとに再現されたもの。

なお、天竜浜名湖線(旧国鉄二俣線)も東海道本坂越と同様
東海道本線の迂回路として建設され、実際に第二次世界大戦末期には
本来東海道本線を通る列車が二俣線回りで運行されたこともある。
関所の東側にある冠木門
(東御門または大門)から入関。
気賀関所の内部。
向番所。
本番所。
手前には三つ道具(刺又・突棒・袖搦)と槍が
立てられている。
右手前は「御制札場」、左奥は「姫様館」。
姫様館では資料展示が行われている。
向番所の裏にある遠見番所。
遠見番所の上階から西方向を撮影。
町木戸門から外に出る。
現地の説明板によると、かつてこの先には
気賀宿の町家が続いていたらしい。
関所の西側にある町木戸門。
敷地の南西には堀や
(船で行き来する人が入関するための)木戸も再現されていた。
いったん気賀駅前まで戻り、
駅前通りを北上して次の目的地へ。
国道362号に突き当たり、右折して東へ。
そしてこの坂を上ると・・・
坂の途中、気賀幼稚園の向かいに
「引佐郡役所趾」という碑があった。
大正15年6月に行政機関としての引佐郡が
廃止されてからも、旧引佐郡役所は
上町公民館として引き続き存在し続けたが
昭和63年に取り壊されて、翌平成元年3月に
上町地区コミュニティ防災センターとして
建て替えられた。
さらに坂を上った先にあるのは
浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
(入館無料)。
入口の脇には「旧山瀬家のコヤ(産屋)」
(静岡県指定有形民俗文化財)がある。
歴史民俗資料館の向かいには
細江神社(牛頭天皇社)がある。
明応7年の地震で新居にあった
角避比古神社が津波で流された際、
神璽は奇跡的に気賀に漂着したことから
細江神社は地震災難消除の神社とされている。
境内社として藺草神社があり、
その傍らには七島藺(琉球藺)が植えられている。
宝永4年の地震に伴う津波で
塩害を被った田んぼについて、
当時の気賀の領主近藤用随が
豊後杵築藩主松平親純に相談したところ
杵築藩から塩に強い琉球藺の苗を
譲り受けることができ、それを田に植えることで
藺草を使った畳表の製織が副業として
農家を潤した。
藺草神社は用随の徳を讃えるために
造られたという。
国道362号に面した細江神社の鳥居と参道。
気賀宿の本陣跡(本陣前公園)や細江神社の近くにあった「犬くぐりの道」を見ずに
気賀を去ってしまったが、それに気づいたのは帰宅後だった。
井伊谷川にかかる清水橋を渡る。
この橋の近くには
ある遺構があると聞いていたのだが、
結局見当たらなかった。
清水橋を渡ると、左カーブの下り坂を進む。
その先には「浜松公共職業安定所細江出張所(ハローワーク細江)」がある。
一見何の変哲もない職安だが、入口手前の植え込みに立っている説明板には
"軽便鉄道「気賀口」駅"とある。
ここにはかつて遠州鉄道奥山線の気賀口駅があったが、
昭和39年10月に奥山線の廃線に伴って廃止された。
さらに東へ進むと、左手に
静岡県立気賀高校があった・・・が、
気賀高校は2015年に
引佐高校および三ケ日高校と統合して
浜松湖北高校(所在地は旧引佐高校跡)
となったため、この校舎は閉鎖されていた。
気賀高校近くにあった天竜浜名湖線の駅も
「気賀高校前駅」から改称した。
現在は「岡地駅」だが、この近くにはかつて
遠州鉄道奥山線の「岡地駅」があったので、
それに因んだ新駅名なのだろうか。
岡地駅のホームから
←西方向(気賀方面)を見る。
東方向(金指方面)を見る。→
金指方面には岡地下踏切があり、
ちょうど白い車が渡っているところ。
岡地下踏切から金指方面を見る。
一見何の変哲もない単線のようだが・・・
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(その1)富士見 金 指
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