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明 延 Part 1:明延バス停→榎橋 [兵庫県養父市] |
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Akenobe (Part 1:Akenobe bus stop→Enokibashi bridge) |
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2018年4月30日(2日目) | ||
<豊 岡 | 2-3 | 明 延Part2> |
Toyooka | Akenobe(Part 2) |
[旅の記録2018GW]三丹+瀬戸内への旅 | |||||||
1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | ||||
1-1 | 出 石1 | 2-1 | 小天橋 | 3-1 | 神子畑1 | 4-A1 | 塩 飽1 |
出 石2 | 2-2 | 豊 岡 | 神子畑2 | 塩 飽2 | |||
2-3 | 明 延1 | 神子畑3 | 4-A2 | 下津井 | |||
明 延2 | 3-2a | 庭 瀬 | 4-B | ? ? | |||
3-3a | 水 島 | 4-C | ? ? | ||||
3-2b | ? ? |
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[現在地:豊岡駅3・4番のりば(兵庫県豊岡市)] 4番のりばに停車中の列車はキハ40形気動車単行の香住行き普通列車。 3番のりばに停車中の電車は223系電車2両編成の福知山行き普通列車。 ここは福知山行きの電車に乗って山陰本線を南下する。 |
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山陰本線の電化区間は京都-城崎温泉間と伯耆大山-西出雲間(いずれも直流)。 京都から鳥取方面へ行く場合、山陰本線の列車を乗り継ぐなら(臨時列車を除き)必ず城崎温泉駅もしくは豊岡駅で電車と気動車の乗り継ぎが発生する。 ※東海道本線・山陽本線・智頭急行・因美線経由の気動車特急「スーパーはくと」なら鳥取または倉吉まで乗り換えなし。 |
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八鹿(ようか)駅に到着。 養父市役所の最寄り駅であり、特急「きのさき」「こうのとり」「はまかぜ」の全列車が停車する養父市の代表駅である。 (2018年8月現在) |
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出入口の右にある八芒星の明かり取り窓が特徴的な八鹿駅の駅舎。 その向かいには全但バスの乗り場があり、これから乗る明延行きのバスも発車を待っていた。 |
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11時45分、明延行きバスは乗客1人で八鹿駅前を発車した。 途中「上箇(あげ)」で2人乗ってきたが「伊豆」で下車して再び乗客は自分1人に。 「新津」で乗ってきた1人も「大屋」(但馬信用金庫大屋支店そば、旧大屋町役場=養父市大屋地域局にも近い)で下車し、その先は終点まで1人だった。 |
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八鹿駅からバスに揺られて約1時間(運賃1090円)、終点・明延に到着。 右画像の右奥に写っている車両が、八鹿駅から乗ってきて折り返し八鹿駅行きとして発車を待っているバス。 そして、バス停がある明延振興館前には「明神電車(通称:一円電車)」が静態保存されていた。 |
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明延鉱山はかつて錫の産地として栄え、明神電車(明神軌道)は明延鉱山の大山(大仙)粗砕場と神子畑選鉱所(朝来市)との間約6kmを結んでいた軌間762mmの鉱山鉄道。 錫鉱石を積んだトロッコや鉱山の従業員(を乗せた客車)を運んでいたが、後に客車へ地元住民の便乗を黙認するようになり、その際に運賃として1円を徴収したことから「一円電車」の通称がついたという。 |
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明延振興館前にある2両の電車のうち、黄色と水色のツートンカラーに白い帯のボンネット型車両は電動客車「白金号」、水色一色の車両は「電気機関車18号」。 | ![]() |
「白金号」は昭和27年に社用連絡車(役員輸送用)の「はと号」として製造された定員6人の自走式電動人車で、最高時速6kmで明延と神子畑の間を走っていた。*1・*2 「電気機関車18号」は昭和17年製造。最高時速は10km。当初は軌間500mmの機関車として生野銀山で使われていたが、後に明神軌道に転属される際に762mmに改軌された。*1 後で訪れた鉱山学習館前の説明板には「18両の架線式電気機関車があったと記録されています」と記されていたので、おそらくこの18号がラストナンバーと思ったら生野銀山で静態保存されている20号がラストらしい。*3 <参考ページ:*1=養父市公式サイト「近代化産業遺産 明延一円電車」、*2=「日本の金属鉱山」内「あけのべ自然学校からのお知らせ」、*3=「輝かしき鉄道の記録」> なお、「あけのべ自然学校からのお知らせ」にはかつてこの場所に客車「くろがね号」が静態保存されており、「白金号」は鉱山学習館前に静態保存されていた当時の画像がある。また、「輝かしき鉄道の記録」によると白金号は平成21年にここへ移設されたらしい。 |
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鉱山従業員の娯楽・集会施設「協和会館」だった建物。 後に、中身は工場に改装されている。 |
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協和会館隣の社宅跡には平成22年に軌間762mmの線路が約80m引かれ、4月から11月の間、特定の日曜日・祝日に一円電車の乗車体験会が行われている。 右画像でアップにしたバッテリー機関車は富山県の立山砂防工事専用軌道で使われていたもので、平成29年に導入された。 一昨年(平成28年)のゴールデンウィークに立山の同軌道千寿ヶ原連絡所を訪れた際、機関車やトロッコを見ることはできなかったが、まさか立山から遠く離れた明延の地で遭遇するとは思わなかった。 <神戸新聞NEXTの参考記事> |
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平成30年(2018年)の場合、体験会の実施予定日は5月~11月の第1日曜日と4月の第2日曜日(8日)、5月の3連続祝日(3日~5日:憲法記念日・みどりの日・こどもの日)、夏休み中の日曜日(7月22日・29日、8月12日・19日・26日)。 | ||
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兵庫県道6号からも見える位置には客車「くろがね号」が保存されていた。 現地の説明板によると、定員は23名。 昭和24年に三菱鉱業の社長が視察する際の特別列車として製造され、後に他の客車(神子畑に静態保存されている「わかば」、生野に静態保存されている「あおば」)とともに一般客の輸送を担ったという。 なお、前述の乗車体験会の際は立山から来たバッテリー機関車に牽引されて線路上を走るので、「わかば」や「あおば」と違い「動態保存」である。 |
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兵庫県道6号と養父市道の分岐点には「鉱山(やま)の里」と題した記念碑と、鉱山従業員の姿をとった「顕彰碑」が建てられている。 「鉱山の里」碑は平成14年に建てられ、埋め込まれたレリーフには18号機関車が鉱石を積んだトロッコを牽引する光景が描かれている。 |
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明延川に架かる橋を渡って、江戸時代からある「本町」集落へ。 | ||
なお、ここで渡った橋はその名も「局前橋」。 名の由来になった「南谷郵便局」は左奥に見える。 右奥に見える建物は(株)MMCリョウテックの明延工場。 かつてはスーパーマーケット「明延購買会」だった。 |
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左画像の道が養父市立旭山野外活動センターへの道、右画像の道が和田神社の参道。 本町集落と野外活動センターおよび和田神社のある辺りとの高低差は約100m。 野外活動センターの敷地内には「五節ズリ捨て線」(その名の通り、鉱石採掘の際に出た不要な石=ズリをトロッコに積んで捨て場まで運ぶための軌道)の跡があるらしいが、いろいろあって登山は断念。 徒歩で上がるにはどう考えても相当な健脚向きだし、車で上るにしても左の道だとそこそこのドライビングテクニックが求められそうなので町外れの別の道から上ったほうがいい。 |
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本町にある妙見山両松寺。 境内にある梵鐘は文禄5年(西暦1596年)に明延産の銀・錫を用いて鋳造されたという。 なお、両松寺の前にも明延川の橋があり、その名は「堂前橋」。 |
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年季の入ったタバコ屋(売物件)の脇を通り過ぎ、対岸にあけのべ自然学校(旧明延小学校)を見ながら進むと道が三手に分かれた。 道標が示す通り、明延鉱山(中心地跡)へは橋を渡らない左の道が正解。 |
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明延川に合流する冨土野川。 | 右折すると「筧下橋」を渡って冨土野川沿いに進み、兵庫県道6号に突き当たる。 | 明延川(下流方向)。 |
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真ん中の道はこの「明盛橋」を渡り、明盛地区の社宅跡で行き止まりとなる。 川床には橋脚跡らしきものが見えるので、かつてはもっと大きな橋が架かっていたかもしれない。 |
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明延川(上流方向)。 | ||
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明延の鉱山町で最初に建てられた共同浴場(入浴料無料)だった「第一浴場」。 すでに浴場としての機能はなく、明延鉱山についての展示がされている。 |
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第一浴場の向かいにある独身寮「明和寮」跡。 | |
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大仙地区の南端。 鉱山の上部へ通じる道が分岐しているものの、門は固く閉ざされており、三菱マテリアルの子会社である「エコマネジメント株式会社」の名で立入禁止の看板も設置されている。 引き続き明延川沿いの道を進む。 |
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大仙川に架かる大仙橋を渡る。 大仙川はすぐそばで明延川に合流しており、橋から「上流側」を見た感じでは川よりも沢といったほうが正確かもしれない。 |
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さらに南下。 右画像の向かって右側には鉱山関係の施設跡と思われる不自然な平場がある。 |
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鉱山施設の遺構と思われる廃配管。 | ![]() |
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榎橋を渡る・・・ところで親柱の一つに「奥山川」と記されていることを発見。 どこかの地点で川の名前が奥山川から明延川に変わるのか、それとも奥山川が明延川に合流する地点があってそれを見落としたのだろうか・・・。 |
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榎橋からさらに南を見ると、ようやく目的地が見えた。 <明延Part2に続く> |
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