神子畑
Part 2:神子畑鋳鉄橋→神子畑選鉱場跡
[兵庫県朝来市]
Mikobata
(Part 2:Mikobata cast iron bridge
→ruins of Mikobata ore dressing plant)
2018年5月1日(3日目)
<神子畑Part1 3-1 神子畑Part3>
Mikobata(Part 1) Mikobata(Part 3)

[旅の記録2018GW]三丹+瀬戸内への旅
1日目 2日目 3日目 4日目
1-1 出 石1 2-1 小天橋 3-1 神子畑1 4-A1 塩 飽1
出 石2 2-2 豊 岡 神子畑2 塩 飽2
2-3 明 延1 神子畑3 4-A2 下津井
明 延2 3-2a 庭 瀬 4-B ? ?
3-3a 水 島 4-C ? ?
3-2b ? ?
山神橋を渡り、さらに国道429号を西に進むと、429と記されたおにぎりの向こうに観光名所の案内板が見えた。
その名所とは・・・
神子畑鋳鉄橋(国指定重要文化財)。
長さ16メートルの短径間アーチ橋で、昭和52年に重要文化財に指定された。
日本の現存する鉄橋で3番目に古いとされるが、全鋳鉄製の橋としては日本最古であるという。
※現存最古の鉄橋とされる心斎橋は錬鉄製で、明治6年に長堀川に架けられたが明治41年には石造りの橋に置き換えられる形で撤去、その後紆余曲折を経て鶴見緑地内に架かる「緑地西橋」の一部(同橋の側面にトラス部分がくっついているだけ)となっている。
2番目とされる東京の弾正橋はアーチ部分が鋳鉄、その他が錬鉄という珍しい組み合わせで、明治11年に東京府の依頼で工部省赤羽製作所で造られた国産第1号の鉄橋といわれる。京橋区(現在の中央区)の楓川に架けられたが、昭和4年に江東区富岡1丁目に移設され、近隣にある(近年悪い意味で有名になってしまった)富岡八幡宮に因んで「八幡橋」に改称。
神子畑川左岸側のたもとから撮影。
反対側を向いて撮影。
斜面に遺構らしきものはなく、ここから山神橋までの道は国道429号と同じルートであると推測。
神子畑鋳鉄橋のほぼ真ん中で神子畑川を撮影。
←下流方向|上流方向→
神子畑鋳鉄橋からしばらくの間、国道429号と別れた「神新軌道」廃線跡は遊歩道として整備されている。
柵は設けられているが、柵に取り付けられている看板には
「遊歩道を散策される方はカギを開けて自由に散策下さい。散策後は必ずカギを掛けてください。」と記されており、戸締りさえすれば通行可能。
神子畑川右岸側のたもとから撮影。 神子畑川の川面近くまで降りて撮影。
神子畑鋳鉄橋を後にし、「神新軌道」廃線跡の遊歩道ではなく国道429号を進む。
途中、神子畑川の支流、神谷川に架かる五百蔵橋(ごろぞうばし※決して濁点を消してはいけない)を渡った。
右画像が神谷川。五百蔵橋のすぐそばで左画像のように神子畑川へ合流する。
なお、五百蔵橋の親柱の1つにはこの道が兵庫県道だった頃の名称と思われる「上岸田朝来線」が刻まれていた。
国道429号から神子畑川右岸を見る。
山裾を廃線跡の遊歩道が通っている。
左手に、神子畑川越しに廃線跡を見ながら国道429号を進む。
廃線跡の脇に小さな洞穴が。
神子畑川右岸もこの部分だけ護岸が施されているので、トロッコで鉱石を運んでいた時代に、何らかの施設として使われていたものだろうか。
神子畑川に架かる清水橋の親柱部分は一円電車の電気機関車を模しているが、パンタグラフなどの機器があるべき位置には「青垣」・「一宮」に挟まれたおにぎりの記された銅板が乗っかっていた。そのため、この橋を紹介したサイトによっては電気機関車と気づかずに「蒸気機関車」と誤認識している場合もある。
なお「青垣」は丹波市青垣町(旧氷上郡青垣町)、「一宮」は宍粟市一宮町(旧宍粟郡一宮町)を表すが、両者とも国道429号の起点・終点ではなく経由地の1つにすぎない。
清水橋の上から神子畑川を見る。
←下流方向|上流方向→
ここで廃線跡の遊歩道が国道429号に合流する。
少しだけ廃線跡の遊歩道に入ってみる。
左の画像は遊歩道から見た清水橋。
先ほど左岸(国道429号)から見た洞穴付近まで来た。
洞穴は奥行きがそこそこありそうだった(中には立ち入っていないのであくまで推測だが)。
洞穴から右カーブで(廃線跡の)「本線」に合流しているように見える。
単なる待避所か、それとも運搬物の積み下ろしが行われていたのだろうか、現地に説明板がないので真相は不明。
洞穴前から廃線跡の遊歩道(神子畑選鉱場方面)と国道429号の清水橋を見る。
国道429号に戻り、再び神子畑選鉱場跡を目指して神子畑川右岸を進む。
右画像は神子畑川左岸にある稲荷神社への参道として架けられた橋。
用途不明の鉄柱のようなもの。
「神新軌道」の遺構かどうかは不明。
山から下りてきて国道と同じレベルに合流してくる道。
これも「神新軌道」の遺構かどうかは不明だが、その可能性は皆無ではないので撮影してきた。
アコバスの「合宿前」停留所を過ぎると、進行方向左側に石垣が現れる。
『新・鉄道廃線跡を歩く4 近畿・中国編』によると、この石垣も「神新軌道」の軌道跡だという。
石垣は橋の前で途切れた。
橋の名は大枡谷橋、橋が架かっている川の名は枡谷川。
(橋についていた銘板では"枡"の右下に点が1画多い異体字になっていた)
大枡谷橋の手前で振り返る。
大枡谷橋から撮影した枡谷川。
←上流方向|下流方向→
砂防ダム(左画像奥)から神子畑川への合流点(右画像)まで両岸とも石とコンクリートの護岸に覆われていた。
「神新軌道」が廃止された後に現在の護岸が整備されたのか、枡谷川を渡っていたであろう橋の跡(橋台や橋脚など)は見当たらなかった。
民家の裏庭だった場所のような空き地の先は進行方向左側から山が迫ってきているので、「神新軌道」の廃線跡は国道429号に吸収されたと思われる。
そしてついに、「神新軌道」ではない神子畑選鉱場関連の施設跡が現れた。左画像奥にはかすかに選鉱場跡が見える。
右画像の小さな建物は警備員などの詰め所だと思って特に気にも留めずに通り過ぎてしまったが、道路側に入口がないので非水洗式の便所だろうか。
左画像だけ見ると「神新軌道」用の貨物プラットフォームに見えなくもないが、選鉱場跡はまだ先。
ここは運動場の跡地らしい。(参考サイト:雀の社会科見学帖
神子畑選鉱場跡手前で国道429号の現道(神子畑バイパス)と旧道が分岐する。
神子畑バイパスは平成19年3月に供用開始された。全長は640m。
旧道はそのまま神子畑川の右岸を進むが、神子畑バイパスは「鉱石の橋」(右画像:42m)で神子畑川を越して左岸へ移る。
一旦「鉱石の橋」を渡ってから分岐点に戻り、今度は旧道を進む。
右画像の、道路の左側奥に見える建物は神子畑公民館。
神子畑川右岸の国道429号旧道から見た神子畑選鉱場跡。
神子畑選鉱場跡正面の無名の橋。
左画像は橋から神子畑川の上流方向を、右画像は下流方向を撮影したもの。
平野でアコバスから降りて(バスなら7分で行ける道のりを)歩くこと1時間46分、ようやく神子畑選鉱場跡に到着。
しかし、神子畑から乗車する予定の新井駅方面行きバスの発車時刻までは、すでに1時間を切っていた。
<Part3に続く>

新円町発2015列車の旅
[旅の記録トップ]
<前のページ
神子畑Part1
旅の記録2018GW
三丹+瀬戸内への旅
次のページ>
神子畑Part3
Travel on 2015 Train from New Yen Town