神子畑
Part 3:神子畑選鉱場跡
[兵庫県朝来市]
Mikobata
(Part 3:ruins of Mikobata ore dressing plant)
2018年5月1日(3日目)
<神子畑Part2 3-1 庭 瀬>
Mikobata(Part 2) Niwase

[旅の記録2018GW]三丹+瀬戸内への旅
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1-1 出 石1 2-1 小天橋 3-1 神子畑1 4-A1 塩 飽1
出 石2 2-2 豊 岡 神子畑2 塩 飽2
2-3 明 延1 神子畑3 4-A2 下津井
明 延2 3-2a 庭 瀬 4-B ? ?
3-3a 水 島 4-C ? ?
3-2b ? ?
神子畑選鉱場跡に着いて、真っ先に向かったのはこちら。
静態保存されている明神電車(一円電車)の電気機関車・客車・鉱車と、基礎部分だけ残された選鉱場の建物群の跡を併せて撮影。
左手前から電気機関車5号、客車「わかば号」、5トングランビー鉱車36号。
これらはかつて道の駅「あさご」で静態保存されていたが、神子畑選鉱場跡の整備に伴ってこちらに移されたという。
明延と違い、神子畑には車両についての説明板が設置されていなかったので、電気機関車5号の詳細についてはわからなかった。
「わかば号」は乗降口が片側だけ設けられており、座席はロングシート。
奥には「明神電車利用について」と題された注意書きと昭和44年10月1日時点での時刻表が掲出されていた。
別アングルで撮影。
明神電車ではなく、トロッコ用と思われる軌道(かつては「神新軌道」にもつながっていたであろう)が一部残されていた。
山上の「明神電車」と平地の「神新軌道」(後にトラックへ置き換え)を結び、かつ選鉱場内各階層間の物の輸送も担っていたと思われるインクラインの跡。
選鉱場としての操業が停止された後も廃墟マニアが明神電車の廃線跡へのアクセスとしてここを登って行ったようだが、今はこの通り立入禁止となっている(見学イベントが不定期に開催されており、その際のみ例外的に立ち入り可)。
柵の手前からズームでインクライン上部を撮影。
中間点付近で行き違いのため分岐するところのレールが歪んでいたものの、管理棟と思われる建物を含めて思ったほど荒れていなかった。
改めて神子畑選鉱場構内を見る。
構内の北側にあるシックナー。
機械類や操作パネルはそのまま残されていた。
シックナー上部への階段も健在だが、残念ながら立入禁止区域内。
シックナー越しに見えた、山上の廃墟群。
シックナーの下には「369」と記された鉱車や錆びついた機械類が放置されていた。
そして、訪問時に見学できたエリアのさらに北側(神子畑川に架かる「鉱石の橋」のたもとまで)では工事が行われていた。
駐車場でも追加で整備されるのだろうか。
旧神子畑鉱山事務舎。
神子畑に移設される前は生野銀山で外人宿舎として使われ、その際にフランス人の鉱山技師ムーセが住んでいたとされるため「ムーセ旧居」とも称されるが、現地の説明板によると史実かどうかは定かでないという。
南側には神子畑小学校の体育館だった建物が残っている。
神子畑小学校は神子畑鉱山・神子畑選鉱場で働いていた人たちの子供が通っていたが、昭和47年に山口小学校に統合される形で廃校となった。
神子畑バイパスは旧道と合流する直前にもう一度神子畑川を渡る。
こちらの橋の名は「錫の橋」。
「錫の橋」まで行って引き返してきたところで、神子畑バイパス(国道429号)から分岐する小さな道を見つけた。
新井駅へ戻るために乗る朝来市コミュニティバス「アコバス」の発車時刻まであと16分しかないので、時間を気にしながら見に行くことにした。
道の傍らにある駅名標のような板には最初の段に「鉱石の道 神子畑ステイション」、次の段には「←生野精錬所 トロッコ馬車(1912~1929)明延鉱山 鉱石運搬ロープウェイ→」と記されていた。
他の説明板は見当たらないが、明延-神子畑間を結んでいた索道の施設がこのあたりにあったのだろうか。
※『新・鉄道廃線跡を歩く4 近畿・中国編』によると、明延-神子畑-生野間の鉱石の輸送には当初馬車のみが用いられていたが、明治45年になると明延-神子畑間に貨物索道(ロープウェイ)が敷設された。
索道での輸送力に限界が見えてくると軌道による輸送に切り替えられることとなり、難工事の末に開通した明神電車は昭和4年4月に運行開始。
いかにも軌道跡っぽい細道は路面こそ雑草に覆われたものの、神子畑川沿いまで下りてくると貨物駅の積載所のようなところを通っていく。
少し広くなったところを通り過ぎてから振り返って撮影。
選鉱場跡を見上げる。 軌道跡と思われる細道は名もなき橋のたもとまで続いていた。
「アコバス」の発車3分前。
駐車場に見覚えのある、側面に「全但バス」と記されただけの白っぽい車が停まっていた。
まさに、3時間前に新井駅から平野まで乗った「アコバス」だった。
先客はおらず、乗車すると「新井駅まで」と目的地を告げた。
神子畑を定刻に発車し、新井駅で降車するまで、誰も途中で乗ってこなかった。
新井駅に戻ってきた。
『新・鉄道廃線跡を歩く4 近畿・中国編』によると、駅の南側にある朝来市営の駐車場は「神新軌道」の積卸場跡らしい。
「対向式ホーム2面2線」の新井駅構内。
新井駅構内から見た駅舎。
改札口のラッチにきっぷ回収箱が鎮座していること以外は、国鉄時代と変わっていないのだろう。
かつては駅舎と反対側にある「島式ホーム」の外側(3番のりば)にもレールが敷かれていて、いわゆる2面3線の国鉄型配線だった。
2番のりばから見た、新井駅東側の景色。
14時36分発予定の寺前行き普通列車に乗り、新井駅を離れた。
今回の旅で最大の目的だった神子畑訪問は無事達成したが、この後今回の旅で一番忙しい乗り継ぎが待っていた。
この日、次の目的地は庭瀬(岡山市)だったが、明るいうちに庭瀬へ到着するためには姫路での播但線から山陽本線(姫路始発・赤穂線直通の播州赤穂行き普通列車)への乗り継ぎを4分でこなさなければならなかった。
(失敗した場合、次の列車に乗っても庭瀬に着くころには暗くなっているため、庭瀬行きはなくなるところだった。)
しかし、寺前行き普通列車は対向列車(城崎温泉行き臨時快速列車「天空の城竹田城跡号」)の到着待ちをした影響により、いきなり4分遅れで発車した。
このまま遅れを引きずると乗り継ぎ失敗となってしまうところだったが、生野での所定4分停車がなくなった分遅れがほぼ相殺され、寺前で乗り継いだ姫路行き普通列車は1分遅れで済んだ。
姫路には定刻で到着し、前日に存在を把握していた中間改札も問題なく通過。
播州赤穂行き普通列車への乗り継ぎは無事成功した。

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