![]() |
![]() |
|
明 延 Part 2:明延鉱山中心地跡→明延鉱山体験坑道周辺 [兵庫県養父市] |
||
Akenobe (Part 2:Center point of Akenobe mine ruins →Around Akenobe mine exploration tunnel) |
||
2018年4月30日(2日目) | ||
<明 延Part1 | 2-3 | 神子畑Part1> |
Akenobe(Part 1) | Mikobata(Part 1) |
[旅の記録2018GW]三丹+瀬戸内への旅 | |||||||
1日目 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | ||||
1-1 | 出 石1 | 2-1 | 小天橋 | 3-1 | 神子畑1 | 4-A1 | 塩 飽1 |
出 石2 | 2-2 | 豊 岡 | 神子畑2 | 塩 飽2 | |||
2-3 | 明 延1 | 神子畑3 | 4-A2 | 下津井 | |||
明 延2 | 3-2a | 庭 瀬 | 4-B | ? ? | |||
3-3a | 水 島 | 4-C | ? ? | ||||
3-2b | ? ? |
![]() |
||
<Part1からの続き> JR山陰本線の八鹿駅からバス約1時間と徒歩約25分で、明延鉱山の中心地(大仙地区)跡に到着。 |
||
![]() |
インクラインのレールと枕木は、中間の行き違い部分も含めて残っていた。 | ![]() |
現地の説明板によると、"山麓"部分には排水処理施設、倉庫、事務所、木工所(製材所)があったらしい。 | ![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
右画像の封鎖されたトンネルは(鉱山学習館や探検坑道のある)世谷に通じており、世谷から伸びるレールは中画像の場所にあった踏切を越え、左画像の橋を渡って"山麓"部分に入った。 | ||
![]() |
選鉱場(後の粗砕場)や機械工場・変電室、明神電車(一円電車)の駅など明延鉱山(大仙地区)の主な施設は山上にあるが、それらの廃墟は緑に遮られてほとんど見えなかった。 | ![]() |
![]() |
明延川と冨土野川が合流する四叉路まで戻り、今度は筧下橋を渡って冨土野川沿いに進む。 あけのべ自然学校入口脇には山神社跡がある。 なお、明延から八鹿駅まで戻るためのバスは定刻通りなら「自然学校前」を14時18分に発車する。 そして現在の時刻(左画像のタイムスタンプ)は13時39分。 世谷に行ってここまで戻ってくるまでの時間はあと39分しかない。 14時18分発を逃すと次は16時56分発の大屋止まりで、大屋での乗り継ぎ時間が20分あるため八鹿駅到着は3時間近く遅れる。 ※上記のバス時刻は訪問当時(2018年4月時点)のものです。5月以降にダイヤ改正等で変更されている可能性があることをご了承ください。 |
|
![]() |
[13:46]残り32分 県道6号に突き当たると左折。 プレコン団地などは撮影している余裕がないので横目で見ながら通過し、1車線の道路が分岐するところまで来た。 |
![]() |
[13:48]残り30分 分岐するほうの道を上り、その途中から県道6号を見下ろすように撮影。 奥側からも歩道が延びてきて、デルタ線を形成している。 |
||
歩道と合流し、さらに先に進むと目的のものが見えてきた。 時間のこともあるのでさっさと奥に行きたいところだが・・・ |
![]() |
|
![]() |
[13:49]残り29分 それより手前にあるものが気になったので撮影。 左画像でやや見切れている、半ば瓦礫で埋まったスロープ状のものと、左画像中央(右画像はその部分をズームして撮影)にある、もはや何の用途か知る由もないコンクリート塊。 |
![]() |
![]() |
[13:50]残り28分 「明延鉱山探検坑道」(世谷通洞坑)の"出口"に到着。 往時はこちらから列車が入って県道側の出口へ抜け、さらに大仙へ向かっていたのだろう。 その奥には架線式電気機関車2両と5トングランビー鉱車2両(そのうち1両の側面には「35」と記されている)による編成が静態保存されていた。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
当初は社用連絡車(職員輸送用)「トラ号」として造られた自走式電動人車「赤金号」。 現地の説明板によると最高時速は9.5km/h、「あけのべ自然学校からのお知らせ」によると定員は9名。 <参考ページ:養父市公式サイト「近代化産業遺産 明延一円電車」、「日本の金属鉱山」内「あけのべ自然学校からのお知らせ」> |
架線式電気機関車。 こちらの車両の側面には1、反対側(1つ上の画像に写っている)の車両の側面には2と記されている。 なお、現地の説明板では尾去沢鉱山から転用したNo.15と記されているが、「津島軽便堂写真館」内のページ「明延鉱山明神電車」に掲載されている現役時代のNo.15の写真とは似ても似つかないので、かつてNo.15がここに保存されていたものの後に撤去されてしまったのだろうか。 |
|
![]() |
[13:53]残り25分 上辺だけ階段が残った高台。 その用途は知る由もない。 |
![]() |
![]() |
明延鉱山学習館。 見学したい場合はあけのべ自然学校へ事前予約が必要。 入口の傍らには蓄電池機関車2両と蓄電池人車が静態保存されていた。 現地の説明板によると、蓄電池機関車は2両とも日本輸送機(ニチユ→現在の三菱ロジスネクスト)による製造。 なお、手前の白くなっている部分にはかつて「明延鉱山」と記された駅名標が設置されていたが、「くろがね号」の動態保存場所に移設されている。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
3トン蓄電池機関車302号。 最高時速6km、牽引力450kg、出力3.75kw(現地の説明板に記載)。 |
2トン蓄電池機関車242号。 最高時速6km、出力3.75kwは3トン車と同じだが、牽引力は半分の225kg(現地の説明板に記載)。 |
蓄電池人車。 鉱山の従業員輸送用に使われていたらしいが、現地の説明板にスペック等の記載はなし。 |
![]() |
[13:58]残り20分 県道6号に戻ってきた。 ここは10分前に見下ろした、県道・鉱山資料館方面への1車線道路・歩道で構成するデルタ線の一辺にあたる。 |
|
![]() |
そこから少し進むと探検坑道の入口がある。 (見学ツアーの時以外は当然ながら閉鎖されている。) 坑道入口からはレールが延びており、県道を横切って冨土野川で途切れた。 |
![]() |
![]() |
[14:00]残り18分 冨土野川の右岸。 レールの延長線上に橋台跡と思われるコンクリート塊が見える。 ただ、レールの伸び方と「橋台」の角度が合ってないように見えるので、大仙地区の橋と同様に少々特殊な形状の橋だったのかもしれない。 大仙地区へ通じるトンネルの坑口は見当たらなかった。 |
![]() |
![]() |
やや上流方向も見てみたが、そちらにもトンネルらしきものはなかった。 しかし、帰宅後に改めて見てみると、左画像の右奥から中央にかけての斜面に石垣が積まれており、中央部分にある石垣付近は土砂によって埋まっているようだがトンネルの坑口があってもよさそうな雰囲気。 上流側に回ってみる時間がなかったのは悔やまれる。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
[14:01]残り17分 「橋台」より下流方向の冨土野川右岸を見る。 ひしゃげた鉄柵や川の湾曲部にある石垣は鉱山施設の名残だろうか。 |
||
![]() |
[14:01]残り17分 最後に別アングルから湾曲部の石垣を撮影すると、あけのべ自然学校まで急いで引き返した。 |
![]() |
14時18分の定刻からやや遅れて、自分以外に2人の乗客を加えて「自然学校前」を出発した八鹿駅行きバスを全区間乗り通し、八鹿駅まで戻ってきたものの、乗車予定の特急列車が到着するまであと2時間もある。 そのため、比較的近くにある道の駅までバスで行くことにした。 |
||
![]() |
国道9号沿いにある道の駅「ようか但馬蔵」。 近くには北近畿豊岡自動車道の「八鹿氷ノ山(ようかひょうのせん)IC」がある。 なお敷地内にあるバス停の名称は「但馬農高」だが、停留所名にもなっている兵庫県立但馬農業高校は長い坂道を上った先にある。 |
![]() |
![]() |
1時間余り道の駅に滞在した後、八鹿駅に戻ってきた。 そして、17時45分発(反対列車の遅れの影響で2分遅れ)の大阪行き特急「はまかぜ6号」に乗って姫路へ。 |
![]() |
姫路駅で「はまかぜ6号」から下車し、「えきそば」を食べるため播但線ホーム(1・2番のりば)から山陽本線ホームへ移動しようと地上に降りたら、中間改札に行く手を阻まれた。 八鹿駅にて姫路駅までの乗車券は購入しており、この日の残りは夕食として「えきそば」を食べたら改札を出てホテルにチェックインするだけなので、慌てずに中間改札を通過。 そして、明日の「本番」を前に中間改札の存在を知れたことは大きかった。 |
新円町発2015列車の旅 [旅の記録トップ] |
||
<前のページ 明延Part1 |
旅の記録2018GW 三丹+瀬戸内への旅 |
次のページ> 神子畑Part1 |
Travel on 2015 Train from New Yen Town |